旧三井家下鴨別邸
祖先を祀った神社に参拝するときの休憩所としてこんな豪邸を造ったとは、三井家ってやはりすごいですね。しかも、三井家は京都を拠点としていたので、住まいは油小路にあったそうです。
10月1日から公開される、重要文化財・旧三井家下鴨別邸の内覧会に行きました。
下鴨神社の南、すぐ近くです。三井家の神社は顕名(あきな)霊社といって、そのあたりにあったそうです。
近所のかたとのんびり行くと、すでにけっこうたくさんのかたが来ていました。
靴を脱いで入ります。
入り口ではすでに特製マカロンやクリアファイルなどのお土産が展示してありました。
和風建築にカーペットを敷いて洋間として使う玄関棟でボランティアガイドさんに説明を受け、主屋へ。
主屋は明治13年建築の木屋町別邸を大正14年に移築したものだそうです。
廊下でつながっているお茶室もあります。
ひょうたん形の池のある庭が見渡せる2階、さらにその上に小さな部屋があり、急な階段をあがると望楼があって、そこからは五山送り火の大文字と法の字が見えます。
2階は有料で貸し出すそうです。大きなお座敷は庭の景色がいいですし、小さな洋間は落ち着いた雰囲気で会食や会議ができそうです。
というわけで、2階、3階は特別公開の時のみ一般に公開され、普段は1階のみの見学ということです。
やはり特別公開の時に行って望楼にあがってみるのがおすすめです。
庭に出て、池の反対側から家の全景を見て、写真など撮って、またのんびり帰りました。屋内は撮影禁止でした。屋内の廊下から庭を撮るのはOKでしたが、望楼からの撮影はNGです。周囲の家のプライバシー保護のためだそうで、街中のお寺の三門でも、そういう所があります。
2階からお庭を見下ろしたところです。百日紅が咲いていました。
下鴨神社 名月管弦祭
今日は中秋の名月。
下鴨神社の名月管弦祭のポスターを見かけたので、軽く夕食をとってから、行ってみました。
空にはうろこ雲のような雲があって、月は時々隠れたり、のぞいたり、煌煌と明るく照ったり。
肉眼で見ると、月はもっとくっきりしていたのですが、写真がへたでごめんなさい。
ちょうど美声の尼さんが琵琶を弾きながら語っていました(歌っていたというべきでしょうか?浄瑠璃だと「語る」と言いますが)。
なぜか月が青く写ってしまいました。よくわからない写真なので、雰囲気だけどうぞ。
屋根の上には名月。篝火が焚かれていて、風情がありました。
「木曾義仲」「兼平」という名前が聞こえたので、あとで検索すると、どうやら「木曽最後」という演目のようです。戦で、もはやこれまでと死んでゆく場面なので、悲しい雰囲気でした。
次はふたりの尺八奏者の演奏で、高雄山の紅葉を表現した曲。
次はお琴の演奏でした。
最後まで聞きたかったのですが、途中で失礼して帰宅しました。
みたらし団子、矢来餅、お酒、山田松香木店、老松(和菓子)などのお店が出ていました。管弦祭だからでしょうか、お店も上品でした。
廬山寺に桔梗を見に
桔梗は初夏から9月末まで咲いているということでしたので、まだ見られるかしらと廬山寺に行ってみました。(2016年9月7日)
廬山寺のある場所には、紫式部の曾祖父が建てた邸宅があり、紫式部もそこに生まれ育ち、結婚、出産、執筆もそこでしたのだそうです。
廬山寺は御所の横の寺町通にありますが、平安時代には御所はもっと西、千本通にありました。
門前に行ってみると、「桔梗咲いています」と書いた紙が貼ってありました。
門をくぐると、正面に大師堂があります。
元三(がんざん)大師良源は比叡山の高僧で実在の人ですが、平安時代より厄よけ大師として信仰を集めてきたそうです。
大師堂をお参りしてから、少し奥の受付で拝観券を購入し、御朱印をお願いしておいて、入ると、桔梗が咲く源氏庭に面した廊下に出ました。
源氏物語に登場する少女が喜びそうな、かわいらしいお庭で、紫の桔梗がまだまだ美しく咲いています。
庭には出られず、小さいデジカメで撮ったら、なんかだしょぼく写ってしまいましたが、実際にはもっと花が目立ってきれいでした。
ご本尊はこの庭を眺めるような位置に安置されていました。
平安時代の阿弥陀如来と両脇待座像は、優しげな、見る人を安心させる表情の仏様たちです。
左側の勢至菩薩はそこに展示してある写真で見ると後ろ側の衣が躍動的で魅力的なようですが、角度的に実際に見る事ができません。
ゆったり桔梗を眺めてから、御朱印を受け取り、きれいな桔梗をモチーフにした絵はがきがあったので、療養中の親戚の人に出そうと思って、一枚買いました。
御朱印には角大師のスタンプも押されていました。
角大師とは、最初にお参りした大師堂の元三大師が、疫病神を追い払うために鬼の姿になったとも、内裏に参内したときに女官に招き入れられた時に鬼のような姿になって邪念を払ったとも言われる姿を現したもので、厄よけの護符として、民家に貼られたものだそうです。
前に、近江商人の家を見学したときに、壁に貼ってあって、悪魔みたいだけどちょっと愛嬌がなくもないこの絵は何だろうと思った謎が解けました。
角大師は顔が元の字と重なってよくわかりませんが、しゃがんで左手を膝に置いています。
廬山寺公式サイトはこちらです。
田園のティーハウス
北山通沿いにある、北山紅茶館に行ってみました。
最寄り駅は地下鉄の松ヶ崎です。
公式サイトによると、1995年に開店した当時は、周囲には田園風景が広がっていたそうです。北山通沿いは田んぼが並んでいたとか。
今はマンションやお店が建ったとはいえ、田んぼも少し残っていて、黄金色の穂が重みで頭を垂れて実りの秋を感じさせ、道路の北側には五山送り火の妙法の山があって、田園の面影が残っています。
北山紅茶館の建物は、一見質素ですが、よい材料を使った本物志向の建物であることがわかります。
屋根は薄い木で葺いてあります。
中に入ると、梁の見える天井に、壁は漆喰です。
日曜でしたが、4時頃でしたので、そんなに混んでないかなと思ったのですが、けっこう人が入っていました。少し待って奥の大テーブルに案内されました。
テーブルも無垢材でできています。
見回すと、友人同士や家族で来ている人がほとんどで、夕食が近いことも考えてでしょうか、アフタヌーンティーの2段トレーが重なっているのをひとつ取って、分け合っている人たちが多いようです。
お腹が空いているときだったら、ひとりでも食べてしまうのですが、お昼をしっかり食べてしまっていたので、アップルクランブルパイとセイロン紅茶のシャンパンと呼ばれると書いてあったヌワラエリアにしました。
アップルクランブルパイもボリュームがありましたが、あたためて生クリームが添えてあって、嬉しくおいしくいただきました。この手のお菓子は久しぶり!
生クリームが植物油に添加物をいろいろ加えてクリームに見せかけた工業製品だとがっかりですが、ここのはちゃんと生クリームをゆるめに泡立てた味でした。
お皿やティーカップは、山荘風の素朴な雰囲気の建物に合っている、草花模様の陶器です。
アップルクランブルパイは一口食べてしまってから撮影したので、ちょっとだけ小さくなってます。
紅茶はポット入りなので、2杯分あります。
あと結末部分だけ未読だった読みかけのミステリーもちょうど読み終わり、家に帰りましたが、夕食までの時間、我ながらテキパキ動ける気がして、たまにはおいしいお菓子が必要なのだわ、などと思ったのでした。
公式サイトは
こんなところに美術館が?! ギリシャローマ美術館
地図や、地域の情報紙で名前は見た事があるギリシャローマ美術館に行ってみました。
下鴨の閑静な、さらに言えば、大きな家が並んでいるあたり、住宅街の中にあります。
建物が門から少し奥まったところにあるので、うっかり通り過ぎそうになりますが、この街灯が目印です。
この美術館が特殊なのは、住宅街のただなかにある、ということだけでなくて、オーナーご夫妻が古代ギリシャローマに魅せられて40年に渡って蒐集されたものを一般公開している私設の美術館であることです。
門と木々の間を通って、エントランスに行くと、横にロッカーがあり、普通の美術館と同様に、100円玉を入れて鍵を閉め、帰りに開けると返してくれるようになっています。そこにバイザーなどを入れ、入り口のガラスのドアを開けようとしたら、鍵がかかっていました。
横に呼び鈴があって、押してから少しお待ちくださいと書いてありました。
なかなか応答がないので、もう一度押したものか考えていると、外から女性がはいってきて、入館ですか?と開けてくださいました。
1階から3階までが展示室、4階は休憩室です。
1階には大きなヘラクレスのトルソー、青年の頭部など。ヘラクレスは360度ぐるっとまわって見る事ができます。
左奥の部屋は棺や墓碑など。どんな時代でも、どこの国でも、亡くなった人を悼む気持ちは変わらないのだなあ、としみじみと感じられました。
2階から上は靴を脱いで清潔感のあるスリッパをお借りしてあがります。
教科書に載っていた赤絵や黒絵の大きな壷などがいくつもあるのですが、どれも2000年以上前のものとは思えないほど状態がよいものです。
葡萄酒を水で割る時に使った壷や化粧品を入れるための小ぶりの壷などもありました。
こんなに昔からすでに優れたデッサン力や表現力を人間が持っていたなんて、文明とか進化とは何なのだろう?と改めて思ってしまいます。
4階にも行ってみました。展望室、お茶室、休憩室があり、休憩室ではインターホンで1階のチケット売り場兼売店の横にある喫茶コーナーに飲み物を注文することができるようになっていました。
1階に降りて、売店を見ると、小さな壷に入った練り香水が目を引きました。
壷はギリシャ製で、昔の化粧品入れのような形ですが、練り香水はフランスの香料を使っているそうで、シャネル5番タイプとか、ポワゾンタイプとか、現代の香りです。
壷の色や模様は古代のものとは全然違います。
香水のコレクション(というわけではないけれど、たまってしまった)はもうやめ、ごく気に入ったものだけしか京都に持ってこなかったのですが、また病気が出て、ひとつ購入してしまいました。
練り香水だとスプレーみたいにシュッと思ったよりたくさん出て顰蹙ものになる恐れがありません。
美術館のかた(最初に開けてくださった女性)と少しお話しましたが、館長さんは、美術館を作りたいという志を持って、状態のよいものばかりを集めてこられ、日本の博物館は展示室が暗いしあまり近寄れないことが多いので、そうではなく自然光で近くで見られるようにしたいと、自ら設計して、この美術館を作られたそうです。
1階以外のどの部屋も窓があって明るく、3階、4階の窓からは大文字、妙法、船が見えるとか。
ゆったりとした気分で見られるように配慮されているせいもあり、リピーターが多いそうです。岡崎などもそうですが、下鴨も、水と緑が多く、心なしか空気も清々しい環境で、観光客もいない住宅街なので、皆さんにもっと知ってもらいたいけれど、教えたくないような、そんな場所です。
現在では、もうこのような美術品は国外に持ち出し禁止になったそうですが、購入当時でも、どんな人が買うのかには厳しくて、美術館にちゃんと展示してあるか、向こうの人が見に来たこともあるとのことです。
2000年まで岡山にあった倉敷蜷川美術館を京都に移したのだそうです。
入館料 おとな1000円 中高生600円 小学生300円
休館日 月曜(祝日の場合は翌日) 1月2月は休館
住所氏名をノートに書くと、イベント情報のはがきがいただけます。
行き方や地図などは下記を参照してください。
嵯峨の男だるま
普通のだるまさんと違って目鼻がすっきりと面相筆で描かれていて真っ白なだるまさんなので、汚れるのが惜しくてずっと箱に入れたまましまってありました。実は貯金箱なのです。底のたまったお金を出すところに金色の紙がはってあって、「ふるさとのだるまシリーズNo.2 嵯峨男だるま(京都)」と書いてあります。
箱には「七転び八起きしてこそ男じゃないか 波間にゃ浮かばぬ世のならい」と書かれています。
これをいただいたのは、もう30年ちょっと前、私が若かった頃、ある画廊に勤めていた頃のことです。
その画廊があるビルの上の階に大家さんが住んでいらして、ご主人の脳血管障がいの後遺症のリハビリに奥様がつきそって毎日階段を上り下りして散歩にいらっしゃっていました。奥様は元芸者さんだということで、きめの細かい色白の肌をしたかたで、少し癇癪持ちのご主人を忍耐強く支え、週1回の踊りのお稽古だけをご自分のための時間として、それ以外は常につきそっていらしゃったようです。
ある日、おふたりが帰っていらしたとき、ご主人が「彼女に男だるまを」と言われ、奥様も賛同されて、このだるまさんを取り出して私にくださいました。
その頃、私はちょうど失恋して自信を失くして落ち込んでいたので、お二人の心遣いが嬉しくて、励まされる気がしました。ご主人は時に怒鳴ることがあっても、心優しいかたなのだと思いました。
その頃、銀行は預金した人に世界の民族衣装の人形とか、銀メッキのスプーンとかのシリーズを配っていたので、そのだるまさんも、ちょうどその日にもらったものだと思うのですが、人生経験を積んだおふたりは、もしかして私の様子を感じとられたのかもしれないと、ずっと思っています。
最近箱から取り出してみて、京都の嵯峨にこのような民芸品があるのかなと、検索してみたのですが、いちど、製造している人の連絡先の痕跡が残っているのが出てきたものの、また検索しても、コレクションしていた人が撮った写真やオークションが出てくるだけです。
はからずも、京都に里帰りしてきただるまさん、箱から出して、他の小さなものも飾ってあるガラスケースに入れました。