京都生活 ー雨音に惚れてー

東京から京都に越して来て築90年?の家に住んでいます。見に来ていたときに降り出した突然の雨がトタンの部分に当たる音に惚れて決断した家です。おもしろいこと、すてきな場所、京都について感じたことについて綴ります。

夏のしつらえ

立秋もとっくに過ぎて、日もだいぶ短くなった感がある今頃になって、遅すぎる話題ですが…

6月1日に衣替えするように、町家も、襖や障子をはずして、御簾(すだれ)や、よしずを張った戸(簾戸、葦戸よしど、夏障子)にして、見た目にも涼しげで風が通るようにします。

 

植木を自分で切ったら、切り込みがたりなくて、ぼさぼさしてしまったけれど、今から切っては花芽がつかないので、今年は我慢中なうえに、だんだんと荷物が増えてきた我が家では、京町家の写真等で見るようにすっきり涼しげ、とまではいかないのですが、それなりに涼しげになっています。

 

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下鴨納涼古本まつり

8月11日から16日までは下鴨神社で恒例の納涼古本まつりがありました。

下鴨神社の糺ノ森(ただすのもり)は昔から夕涼みの名所だったそうで、外の道を歩いていても、塀越しの鬱蒼とした糺ノ森の木陰はひんやりしています。

 

とはいえ、真夏の日中はそれなりに暑く、古本市のお客さんたちも、うちわをもらってあおぎながら見て歩いていました。

 

私は15日に行ってみましたが、前日夕立があり、また空に黒雲がないでもなかったので、いつでもかぶせられるように本棚の上にはブルーシートが用意してありました。

商品が商品なだけに、猛烈な勢いのにわか雨に降られたら、どんなに大変か想像に難くありません。

 

美術書を主に扱っている書店、歴史本、児童書など、だいたい分野ごとにかたまってお店が出ているようでした。

 

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境内には小川が流れています。

古本まつりのテントの後ろには木漏れ日と水が…

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本殿に向かって右側の小川は泉川といい、この泉川のほとりとも言える、神社の塀の外側に、谷崎潤一郎が子ども時代を描いた「夢の浮橋」の舞台となった家があると知ったので、その昼尚暗いような径を通るときにはいつもどこだろうと思って見ていました。

 

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これが泉川です。高野川から分流して下鴨神社境内を流れ、再び高野川に合流しているそうです。森の中のせせらぎ、というイメージそのものですね。

 

「泉川亭」と書いてある矢印の指す、茶室がいくつもある家がそうかな、とも思ったのですが、個人の家と言うにはあまりにも大きいし…

ですが、検索してみましたら、やはりそこなのでした。幼少の頃の谷崎潤一郎だけでなく、川端康成も住んでいたことがあり、「古都」を執筆したのだそうです。

 

最近では日本の企業が所有して大規模改修して、会社の賓客を接待するのに使っていたそうですが、リーマンショック後に香港系ファンドの会長に売却してしまったとか。

日本の企業による大規模改修のことを扱っているサイトを見つけました。

なんとも立派です! 私のような一般人は入って見る機会もないと思いますが…

 

http://www.ryaa-ko.jp/yama_at/_works/_page/34izumigawa.html

 

 

五山送り火

今日はお盆に帰ってきていた祖先の霊をお送りする五山送り火の日でした。

東京にいた頃は、「大文字焼き」と言っていましたが、京都ではそうは言わず、五山送り火と言うそうで、なるほど、大文字だけではなく、法、妙、舟形、鳥居、それと左大文字もありますね。8時に「大」から始まって、5分ごとに、上記の順で点火されていきます。

 

一昨年は、自転車で法を北大路の橋の上から見、移動するときに、大も見え、ノートルダム女子大の近くから妙を見て、北大路を西に走って鴨川の橋のあたりから完全ではありませんが、鳥居を見る事ができました。帰りに下鴨本通を走りながら、横道のところでふと西を見ると、左大文字が見えました。

 

昨年は、見た事がなかった鳥居を見に、広沢池に行きました。京都市の西の方で、市内ではあるのですが、田んぼにかかしがたくさん立っているような所です。かかしのコンテストがあるらしいのですが、かかしたちがどんな服を着ているのかは、暗くてよく見えませんでした。

カラフルな灯籠が池に浮かび、送り火の鳥居が暗い山の中腹当たりに浮かぶのが、幻想的で美しく、自然と、懐かしい亡くなった人たちに思いを馳せずにはいられません。

 

 

kyoto-seikatsu.hatenablog.jp

 

 

今年、京都に憧れると言っていたのに来る機会もないままだった伯母が亡くなったので、どうしても灯籠流しで供養したいと思いました。

去年は気楽な身分?でしたが、今年は数日前まで病院通いをしていた同居猫がいることもあり、あまりゆっくり出かけるのも心配なので、昼のうちに嵐山の灯籠に申込みに行き、家に帰ってから近くに送り火を見に行く事にしました。猫のこともありますが、去年嵐山に鳥居の送り火を見に行った人から、あまりの混雑に気分が悪くなってしまったと聞いていたので、そんなに人が来ないうちに退却しようと思ってしまったんです。

 

阪急で行くと、駅からほど遠からぬ所に中ノ島公園があり、氷やとうもろこしなどの露店が出ていて、その並びに灯籠の受付がありました。(autoで撮ったのですが暗いですね。いつまでたってもカメラ使いこなせてません。右奥に渡月橋が見えます)

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一基千円で、水塔婆がついています。

誰のためというのと、自分の名前は、自分で書いてもいいのですが、希望すれば書いてもらえます。

嵐山灯篭流し

灯籠は紙の状態のまま渡して、あとで灯籠に仕立てていただきます。水塔婆には沈香のお焼香の煙をあててから、納め、19時半から川施餓鬼法要をしていただきます。

 

灯籠が川をゆったり流れる様子も見たかったのですが、私はここで帰りました。

駅の近くの風景です。趣がありますね。

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一旦家に帰って、今年は北山通まで行って、鳥居をしっかり見ようかな、と考えていたのですが、8時少し前に大雨になってしまいました。

一昨年でしたか、やはり雨が降ったのですが、なんとかあがったので、今年も止むかな、と思ったのですが、激しく降り続き、自転車はあきらめて、徒歩圏の橋に「法」を見に行きました。ガラケーの画像で小さいのですが、見えるでしょうか。

 

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橋の上には、近所の住人とおぼしきかたたちが荒天でも集まってきていました。

 

今年は法だけですが、ひとつでも見られただけでもよしとしましょう。

それにしても土砂降りの中、お世話役やボランティアのかたがた、おつかれさまでした。事故のないよう、祈りつつ、家に帰りました。五山送り火は京都の有名な行事のひとつですが、祇園祭が鉾町で受け継がれているのと同様に、それぞれの文字ごとに地元の人々が受け継いで実行しているのです。

 

五山送り火保存会のサイトはこちら http://www.gozan-okuribi.com/index.html

 

嵐山の灯籠流しも、小雨なら決行ということでしたが、京都市も南北で多少お天気が違うこともあるとはいえ、これだけ降ったら流せなかったのではないでしょうか。

流さなくても供養はしてくださるはずですので、気持ちだけでも伯母やご先祖様に喜んでいただけたのだといいのですが…

 

 

 

 

後祭と還幸祭

祇園祭には還幸祭というのがあって、御神輿が京都市内の中心部をぐるっとまわってから八坂神社に帰り、真夜中に暗闇の中で儀式をするというのを一度見てみたいけど、ひとりではちょっとと、東京の友人へのメールに書いたら、彼女も見てみたいといって、後祭に来る事になりました。

この前の日曜日(24日)、前日から来ていた友人と待ち合わせ、四条御池の交差点で山鉾巡行を見ました。

9時半に山鉾が烏丸出発というので、9時に行きましたが、辻回しが見たいという友人と、まあまあの場所を確保できました。

 

いつも京都は(といっても5年ぐらいしか知りませんが)この時期が一番暑いような気がするのですが、今年は晴れたり曇ったりして涼しい風が吹いていたので楽でした。

 

人が多いので日傘はさせないというのに、帽子と手袋を忘れ、顔にはUVファウンデーションは塗っていたものの、無防備な腕がだいぶ日に焼けてしまいました。

 

常に先頭と決まっている、くじ取らずの橋弁慶山、次に北観音山が現れました。

橋弁慶山は有名な弁慶と牛若丸が最初に出会った場面を表しています。

北観音山は山ではありますが、鉾のような形をしているので、さっそく辻回しがありました。

辻回しは、まず縦に平たく切った竹を平らに並べ、水をかけて滑りやすくしたところに鉾の前輪が乗るまで引っ張ってきます。

 

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車軸のくぼみをつけたところにロープをかけ、回したい方へ引き手が行って引くと、鉾が30度ぐらい回ります。それを繰り返して90度まわったところで、普通に前進して行きます。

 

 

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鉾の前に乗っているふたりの扇子を持った人(なんと呼ぶのか調べてみたのですがわかりません)が、扇子を上下表裏動かしてから、「そーれ」と言って綱につかまって身体を前に倒しながら扇子を前に出すのに合わせ、引き手が引っ張って重そうな鉾が動き出すとわくわくします。

 

次々と物語を表現したり、古くから伝わったり現代の画家の絵を織ったタペストリーを飾った山が続きます。最後はくじ取らずの復興なった大船鉾。大きいので辻回しも迫力がありました。今年は竜頭が完成してつけられています。

 

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後祭は10基で前祭より少ないですが物足りないということもなく、そんなに間があかずに花笠巡行がやってきました。

 

子どもたちの御神輿、武者行列、馬に乗った稚児、鷺舞、きれいどころが乗った山車、太鼓など。

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ごめんなさい、芸妓さんよりおにいさんたちが大きく写ってしまいました。

寺町のアーケードあたりでしたら、間近で見られます。

 

この後、祇園でランチをして、いったんそれぞれ帰って、また夜9時に河原町通四条通交差点で待ち合わせました。

友人は待ち合わせ場所に来る途中御神輿に出会い、すっかり熱気に興奮してしまい、私が去年八坂神社までついていこうかと思ったというのも理解できたと言っていました。

 

そこで西御座が通るのを見届けましたが、西御座は最後のはず、思ったより早く中御座と東御座は通ってしまったようなので、八坂神社石段下へ向かいました。

 

御神輿が通る経路図ではまっすぐ四条通を通るように書いてありますが、途中で見かけなかったのにどこへ行ったのでしょう?

しかし無事に御神輿がきて、観客もかけ声に合わせて手拍子したり、もう気分は一体となっていました。御神輿を頭より高く持ち上げてゆする「差し上げ」にも拍手。今時の俳優にはいない、映画に出したいような面魂の人がたくさんいる、という友人のことばに同感でした。

 

その後境内にはいって再び御神輿が来るのを待ちました。

1基ずつ順番に来て本殿前の舞殿のまわりを3周?まわり、差し上げなどして、舞殿の中に安置され、午前0時になると、明かりがすべて消されました。御霊が御神輿から本殿へ移る御霊移しが行われるのです。

ガイドブックなどには真っ暗闇と書いてありますが、都会の中心ゆえ、思ったほど真っ暗ではありませんが、舞殿の中は暗くて見えず、和琴の音と「オ〜〜」という声だけが神殿の屋根の下に聞こえるのはたいへん神秘的でした。

 

一度は体験したい行事、今年思い切って行ってよかったです。

 

 

 

 

 

 

祇園祭 前祭2

昨日から後祭の宵山が始まっているのですが、今日は、書く時間がなかった前祭(さきまつり)の宵山(宵々々山)の日の事を書こうかと思います。

 

宵々々山の朝10時半に友人と待ち合わせました。実家が京都で今は大阪に住んでいる人で、お札を返しに来るという事で、ランチの予約もしてくれました。

約束に遅れそうであせっていたのに、長刀鉾のところで消防訓練だといって、足止めされてしまいました。ただでさえ、そのあたりは人が多くて通り抜けるのがたいへんなのに。

友人は呉服屋さんではぎれを見ながら待っていてくれて、ふたりで計り売りの正絹の着物地を数種類ずつ買いました。破格のお値段でした。昭和の子どもの着物地みたいな懐かしい模様のもありました。何に使おうかしら。

 

鉾町は、平日の朝だというのに、けっこうな人出でした。

 

大丸デパートの洛中洛外図の屏風や高島屋の木村英輝氏の屏風やグッズなど見ながら祇園に向かいました。

 

友人が予約してくれたのは観光客でいつも賑わっている花見小路にある、津田楼さん。

オーナーは清水三年坂美術館の館長でもいらっしゃるそうで、併設のお店にはこれ以上はないというほど緻密な七宝の小さな作品や1930年頃と、それ以前のバカラのグラス、木版画などが置いてあります。

私たちはカウンター席を選び、お店のかたと時折お話したり、お庭の涼しげな緑を眺めながら繊細なお料理を味わいました。

 

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お料理の一部ですが、お見せしますね。

なんともかわいらしいおちょこにお料理がよそってあって、おいしく楽しいです。

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いったん帰宅してから、関東から着物文化の研修に急遽来る事になったという友人と軽い夕食を一緒にすることになったので、また出かけました。

量が調節できるので、地場野菜中心のバイキングの「都野菜・賀茂」というお店に行きました。軽く、と言いながらけっこう食べてしまいました。

 

ぶらぶら歩いて、祇園祭宵山の夜の風情を楽しみました。

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長刀鉾です。ここは未だに女性は上がらせてくれません。

ちょうど囃子方が乗ってお囃子を演奏中で、お祭の雰囲気も盛り上がっていました。

 

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月鉾です。

 

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蟷螂山の会所です。ご神体、懸装品のタペストリー、カマキリ(山には別のが乗っていました)が安置されています。

Tシャツなどのグッズも大人気です。

 

翌朝、ふたりで霰天神山に火の用心のお札をいただきに行きました。

長蛇の列だと思ったら、お隣の豚まんを買う人の列でした。近辺で立ってほおばる人もいました。

 

彼女は呉服の誉田屋さんに行くというので、そこまで歩いて行く途中、山伏山を通ると、山伏さんたちが護摩木を焚いているところでした。

ホラ貝も始まりました。

 

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茅の輪くぐりもできるので、人が並んでいます。

 

友人の目的地、誉田屋さんに着きました。帆布

に木村英輝さんが鯉を描いた大きな作品が目を引きます。創業270周年を記念して270匹の鯉を描いたそうで、毎年1匹ずつ書き足し、今年は278匹目になったそうです。

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ここで友人と別れてから、私は菊水鉾に上がらせていただいてから、帰りました。

 

 

 

 

 

祇園祭 前祭1

祇園祭は2014年から前祭と後祭と山鉾巡行を分けて行うことになりました。

今年は前祭の山鉾巡行は17日に、朝雨だった影響で懸装品にはビニールがかけられていましたが、無事に行われました。途中であがったので、去年よりはよかったです。

 

宵山山鉾巡行の前の3日間、普段山鉾が収納してある会所とか町家とか呼ばれる所にご神体が安置され、タペストリーなどの装飾品などが飾られ、お札や粽(ちまき・食べ物ではなく、厄よけに門先につけておくもの)をいただくようになっています。

子どもたちの(録音が多いですが)「つねは出ません。今晩限り…受けてお帰りなされましょう」と歌う声が、京都に生まれ育ったわけではない私にも懐かしく、夜美しく提灯がともった鉾町をそぞろ歩くのは、どんなに混雑していても、蒸し暑くても、年に一度の欠かせない行事です。

 

とはいえ、宵山の夜は歩行者も一方通行になるほどの混雑なので、山鉾の懸装品をじっくり見たいとか、セールをしている呉服屋さんなどをのぞくには(私ははぎれ目当て)、昼間出かけないと。

 

山鉾のある鉾町あたりでは、屏風祭というのもやっていて、町家やお店の窓からその家が持っている屏風、それと生け花などが見えるようにしつらえてあります。

 

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藤井絞さんです。りっぱな屏風、鉾の模型、祇園祭につきもののヒオウギの生け花が飾ってあり、写真ではうまく写りませんでしたが、奥に風情のある坪庭が見え、お家のかたが浴衣姿で通られるのが垣間見えて、昭和の映画の世界みたいです。

 

この写真は宵山が始まる前日に出かけたときのものですが、屏風祭は始まっていました。山鉾も長刀鉾や函谷鉾などはすでに仕上がって試し引きも済んでいましたが、まだ建てている途中の山もありました。

 

夏越の祓

昨日は6月30日でしたので、夏越の祓(なごしのはらえ)、茅の輪くぐりに行ってきました。

烏丸通、御所(正確にいうと御苑)の蛤御門の向かいにある、護王神社に行きました。

神社の門をくぐると、茅で作った大きな輪があります。

初めてこの光景をみたとき、「異次元への入り口」みたいに見えました。

 

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最初に行ったときにいただいたうちわに夏越の祓をすると千年寿命が延びると書いてありましたが、この輪をくぐると神様の世界に一瞬入るのでその分寿命が延びるのかしら、などと勝手に解釈していました。

それにしても、ここで千年、祇園祭の菊水鉾で700年寿命が延びたら、いったいいつまで生きるのでしょう。

 

最初に左側をまわり、数字の8を横にしたように右をまわり、もう一度左の柱をまわって正面に行ってお参りします。

半年の穢れ(意識していないものも含め)を祓い、あと半年の無病息災を願います。

 

この護王神社和気清麻呂と姉の広虫姫(法均尼)を祀っています。

和気清麻呂は、道鏡が権勢を誇っていた絶頂期、道鏡が自分を天皇にすれば泰平の世になるという宇佐八幡のお告げがあったと言った時に、本当かどうか確かめに行くよう天皇に命じられて宇佐八幡に赴き、天皇の血筋以外の者は追放せよとの神託を伝えたため、道鏡により足の腱を切られ、大隅(鹿児島)に流罪にされたのですが、宇佐八幡にお礼に寄ろうとしたところ、どこからともなく300頭ものイノシシが現れて、道鏡の刺客から清麻呂公を護ってくれたのだそうです。

 

それで、ここでは狛犬のかわりに狛イノシシになっているとのことです。

 

宇佐八幡にお参りすると、足も治り、再び歩けるようになったので、この神社は足腰の神様として、お守りなどを授与しています。

 

姉の広虫姫は政変や戦で孤児になった子を八十数名ひきとって育てたそうです。

広虫姫は宮中に勤めていましたが、天皇が出家して上皇になったとき、一緒に出家したので、この絵では尼僧姿で描かれています。法均尼というのが広虫姫です。

 

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イノシシの絵がなんだかかわいいですね。

境内には全国のイノシシの玩具などのコレクションが展示されています。

 

護王神社は最初神護寺境内にあったのが、明治19年、明治天皇の命により、今の場所、華族の邸跡に遷座されたそうです。