こんなところに美術館が?! ギリシャローマ美術館
地図や、地域の情報紙で名前は見た事があるギリシャローマ美術館に行ってみました。
下鴨の閑静な、さらに言えば、大きな家が並んでいるあたり、住宅街の中にあります。
建物が門から少し奥まったところにあるので、うっかり通り過ぎそうになりますが、この街灯が目印です。
この美術館が特殊なのは、住宅街のただなかにある、ということだけでなくて、オーナーご夫妻が古代ギリシャローマに魅せられて40年に渡って蒐集されたものを一般公開している私設の美術館であることです。
門と木々の間を通って、エントランスに行くと、横にロッカーがあり、普通の美術館と同様に、100円玉を入れて鍵を閉め、帰りに開けると返してくれるようになっています。そこにバイザーなどを入れ、入り口のガラスのドアを開けようとしたら、鍵がかかっていました。
横に呼び鈴があって、押してから少しお待ちくださいと書いてありました。
なかなか応答がないので、もう一度押したものか考えていると、外から女性がはいってきて、入館ですか?と開けてくださいました。
1階から3階までが展示室、4階は休憩室です。
1階には大きなヘラクレスのトルソー、青年の頭部など。ヘラクレスは360度ぐるっとまわって見る事ができます。
左奥の部屋は棺や墓碑など。どんな時代でも、どこの国でも、亡くなった人を悼む気持ちは変わらないのだなあ、としみじみと感じられました。
2階から上は靴を脱いで清潔感のあるスリッパをお借りしてあがります。
教科書に載っていた赤絵や黒絵の大きな壷などがいくつもあるのですが、どれも2000年以上前のものとは思えないほど状態がよいものです。
葡萄酒を水で割る時に使った壷や化粧品を入れるための小ぶりの壷などもありました。
こんなに昔からすでに優れたデッサン力や表現力を人間が持っていたなんて、文明とか進化とは何なのだろう?と改めて思ってしまいます。
4階にも行ってみました。展望室、お茶室、休憩室があり、休憩室ではインターホンで1階のチケット売り場兼売店の横にある喫茶コーナーに飲み物を注文することができるようになっていました。
1階に降りて、売店を見ると、小さな壷に入った練り香水が目を引きました。
壷はギリシャ製で、昔の化粧品入れのような形ですが、練り香水はフランスの香料を使っているそうで、シャネル5番タイプとか、ポワゾンタイプとか、現代の香りです。
壷の色や模様は古代のものとは全然違います。
香水のコレクション(というわけではないけれど、たまってしまった)はもうやめ、ごく気に入ったものだけしか京都に持ってこなかったのですが、また病気が出て、ひとつ購入してしまいました。
練り香水だとスプレーみたいにシュッと思ったよりたくさん出て顰蹙ものになる恐れがありません。
美術館のかた(最初に開けてくださった女性)と少しお話しましたが、館長さんは、美術館を作りたいという志を持って、状態のよいものばかりを集めてこられ、日本の博物館は展示室が暗いしあまり近寄れないことが多いので、そうではなく自然光で近くで見られるようにしたいと、自ら設計して、この美術館を作られたそうです。
1階以外のどの部屋も窓があって明るく、3階、4階の窓からは大文字、妙法、船が見えるとか。
ゆったりとした気分で見られるように配慮されているせいもあり、リピーターが多いそうです。岡崎などもそうですが、下鴨も、水と緑が多く、心なしか空気も清々しい環境で、観光客もいない住宅街なので、皆さんにもっと知ってもらいたいけれど、教えたくないような、そんな場所です。
現在では、もうこのような美術品は国外に持ち出し禁止になったそうですが、購入当時でも、どんな人が買うのかには厳しくて、美術館にちゃんと展示してあるか、向こうの人が見に来たこともあるとのことです。
2000年まで岡山にあった倉敷蜷川美術館を京都に移したのだそうです。
入館料 おとな1000円 中高生600円 小学生300円
休館日 月曜(祝日の場合は翌日) 1月2月は休館
住所氏名をノートに書くと、イベント情報のはがきがいただけます。
行き方や地図などは下記を参照してください。
嵯峨の男だるま
普通のだるまさんと違って目鼻がすっきりと面相筆で描かれていて真っ白なだるまさんなので、汚れるのが惜しくてずっと箱に入れたまましまってありました。実は貯金箱なのです。底のたまったお金を出すところに金色の紙がはってあって、「ふるさとのだるまシリーズNo.2 嵯峨男だるま(京都)」と書いてあります。
箱には「七転び八起きしてこそ男じゃないか 波間にゃ浮かばぬ世のならい」と書かれています。
これをいただいたのは、もう30年ちょっと前、私が若かった頃、ある画廊に勤めていた頃のことです。
その画廊があるビルの上の階に大家さんが住んでいらして、ご主人の脳血管障がいの後遺症のリハビリに奥様がつきそって毎日階段を上り下りして散歩にいらっしゃっていました。奥様は元芸者さんだということで、きめの細かい色白の肌をしたかたで、少し癇癪持ちのご主人を忍耐強く支え、週1回の踊りのお稽古だけをご自分のための時間として、それ以外は常につきそっていらしゃったようです。
ある日、おふたりが帰っていらしたとき、ご主人が「彼女に男だるまを」と言われ、奥様も賛同されて、このだるまさんを取り出して私にくださいました。
その頃、私はちょうど失恋して自信を失くして落ち込んでいたので、お二人の心遣いが嬉しくて、励まされる気がしました。ご主人は時に怒鳴ることがあっても、心優しいかたなのだと思いました。
その頃、銀行は預金した人に世界の民族衣装の人形とか、銀メッキのスプーンとかのシリーズを配っていたので、そのだるまさんも、ちょうどその日にもらったものだと思うのですが、人生経験を積んだおふたりは、もしかして私の様子を感じとられたのかもしれないと、ずっと思っています。
最近箱から取り出してみて、京都の嵯峨にこのような民芸品があるのかなと、検索してみたのですが、いちど、製造している人の連絡先の痕跡が残っているのが出てきたものの、また検索しても、コレクションしていた人が撮った写真やオークションが出てくるだけです。
はからずも、京都に里帰りしてきただるまさん、箱から出して、他の小さなものも飾ってあるガラスケースに入れました。
下鴨納涼古本まつり
8月11日から16日までは下鴨神社で恒例の納涼古本まつりがありました。
下鴨神社の糺ノ森(ただすのもり)は昔から夕涼みの名所だったそうで、外の道を歩いていても、塀越しの鬱蒼とした糺ノ森の木陰はひんやりしています。
とはいえ、真夏の日中はそれなりに暑く、古本市のお客さんたちも、うちわをもらってあおぎながら見て歩いていました。
私は15日に行ってみましたが、前日夕立があり、また空に黒雲がないでもなかったので、いつでもかぶせられるように本棚の上にはブルーシートが用意してありました。
商品が商品なだけに、猛烈な勢いのにわか雨に降られたら、どんなに大変か想像に難くありません。
美術書を主に扱っている書店、歴史本、児童書など、だいたい分野ごとにかたまってお店が出ているようでした。
境内には小川が流れています。
古本まつりのテントの後ろには木漏れ日と水が…
本殿に向かって右側の小川は泉川といい、この泉川のほとりとも言える、神社の塀の外側に、谷崎潤一郎が子ども時代を描いた「夢の浮橋」の舞台となった家があると知ったので、その昼尚暗いような径を通るときにはいつもどこだろうと思って見ていました。
これが泉川です。高野川から分流して下鴨神社境内を流れ、再び高野川に合流しているそうです。森の中のせせらぎ、というイメージそのものですね。
「泉川亭」と書いてある矢印の指す、茶室がいくつもある家がそうかな、とも思ったのですが、個人の家と言うにはあまりにも大きいし…
ですが、検索してみましたら、やはりそこなのでした。幼少の頃の谷崎潤一郎だけでなく、川端康成も住んでいたことがあり、「古都」を執筆したのだそうです。
最近では日本の企業が所有して大規模改修して、会社の賓客を接待するのに使っていたそうですが、リーマンショック後に香港系ファンドの会長に売却してしまったとか。
日本の企業による大規模改修のことを扱っているサイトを見つけました。
なんとも立派です! 私のような一般人は入って見る機会もないと思いますが…
http://www.ryaa-ko.jp/yama_at/_works/_page/34izumigawa.html
五山送り火
今日はお盆に帰ってきていた祖先の霊をお送りする五山送り火の日でした。
東京にいた頃は、「大文字焼き」と言っていましたが、京都ではそうは言わず、五山送り火と言うそうで、なるほど、大文字だけではなく、法、妙、舟形、鳥居、それと左大文字もありますね。8時に「大」から始まって、5分ごとに、上記の順で点火されていきます。
一昨年は、自転車で法を北大路の橋の上から見、移動するときに、大も見え、ノートルダム女子大の近くから妙を見て、北大路を西に走って鴨川の橋のあたりから完全ではありませんが、鳥居を見る事ができました。帰りに下鴨本通を走りながら、横道のところでふと西を見ると、左大文字が見えました。
昨年は、見た事がなかった鳥居を見に、広沢池に行きました。京都市の西の方で、市内ではあるのですが、田んぼにかかしがたくさん立っているような所です。かかしのコンテストがあるらしいのですが、かかしたちがどんな服を着ているのかは、暗くてよく見えませんでした。
カラフルな灯籠が池に浮かび、送り火の鳥居が暗い山の中腹当たりに浮かぶのが、幻想的で美しく、自然と、懐かしい亡くなった人たちに思いを馳せずにはいられません。
今年、京都に憧れると言っていたのに来る機会もないままだった伯母が亡くなったので、どうしても灯籠流しで供養したいと思いました。
去年は気楽な身分?でしたが、今年は数日前まで病院通いをしていた同居猫がいることもあり、あまりゆっくり出かけるのも心配なので、昼のうちに嵐山の灯籠に申込みに行き、家に帰ってから近くに送り火を見に行く事にしました。猫のこともありますが、去年嵐山に鳥居の送り火を見に行った人から、あまりの混雑に気分が悪くなってしまったと聞いていたので、そんなに人が来ないうちに退却しようと思ってしまったんです。
阪急で行くと、駅からほど遠からぬ所に中ノ島公園があり、氷やとうもろこしなどの露店が出ていて、その並びに灯籠の受付がありました。(autoで撮ったのですが暗いですね。いつまでたってもカメラ使いこなせてません。右奥に渡月橋が見えます)
一基千円で、水塔婆がついています。
誰のためというのと、自分の名前は、自分で書いてもいいのですが、希望すれば書いてもらえます。
灯籠は紙の状態のまま渡して、あとで灯籠に仕立てていただきます。水塔婆には沈香のお焼香の煙をあててから、納め、19時半から川施餓鬼法要をしていただきます。
灯籠が川をゆったり流れる様子も見たかったのですが、私はここで帰りました。
駅の近くの風景です。趣がありますね。
一旦家に帰って、今年は北山通まで行って、鳥居をしっかり見ようかな、と考えていたのですが、8時少し前に大雨になってしまいました。
一昨年でしたか、やはり雨が降ったのですが、なんとかあがったので、今年も止むかな、と思ったのですが、激しく降り続き、自転車はあきらめて、徒歩圏の橋に「法」を見に行きました。ガラケーの画像で小さいのですが、見えるでしょうか。
橋の上には、近所の住人とおぼしきかたたちが荒天でも集まってきていました。
今年は法だけですが、ひとつでも見られただけでもよしとしましょう。
それにしても土砂降りの中、お世話役やボランティアのかたがた、おつかれさまでした。事故のないよう、祈りつつ、家に帰りました。五山送り火は京都の有名な行事のひとつですが、祇園祭が鉾町で受け継がれているのと同様に、それぞれの文字ごとに地元の人々が受け継いで実行しているのです。
五山送り火保存会のサイトはこちら http://www.gozan-okuribi.com/index.html
嵐山の灯籠流しも、小雨なら決行ということでしたが、京都市も南北で多少お天気が違うこともあるとはいえ、これだけ降ったら流せなかったのではないでしょうか。
流さなくても供養はしてくださるはずですので、気持ちだけでも伯母やご先祖様に喜んでいただけたのだといいのですが…
後祭と還幸祭
祇園祭には還幸祭というのがあって、御神輿が京都市内の中心部をぐるっとまわってから八坂神社に帰り、真夜中に暗闇の中で儀式をするというのを一度見てみたいけど、ひとりではちょっとと、東京の友人へのメールに書いたら、彼女も見てみたいといって、後祭に来る事になりました。
この前の日曜日(24日)、前日から来ていた友人と待ち合わせ、四条御池の交差点で山鉾巡行を見ました。
9時半に山鉾が烏丸出発というので、9時に行きましたが、辻回しが見たいという友人と、まあまあの場所を確保できました。
いつも京都は(といっても5年ぐらいしか知りませんが)この時期が一番暑いような気がするのですが、今年は晴れたり曇ったりして涼しい風が吹いていたので楽でした。
人が多いので日傘はさせないというのに、帽子と手袋を忘れ、顔にはUVファウンデーションは塗っていたものの、無防備な腕がだいぶ日に焼けてしまいました。
常に先頭と決まっている、くじ取らずの橋弁慶山、次に北観音山が現れました。
橋弁慶山は有名な弁慶と牛若丸が最初に出会った場面を表しています。
北観音山は山ではありますが、鉾のような形をしているので、さっそく辻回しがありました。
辻回しは、まず縦に平たく切った竹を平らに並べ、水をかけて滑りやすくしたところに鉾の前輪が乗るまで引っ張ってきます。
車軸のくぼみをつけたところにロープをかけ、回したい方へ引き手が行って引くと、鉾が30度ぐらい回ります。それを繰り返して90度まわったところで、普通に前進して行きます。
鉾の前に乗っているふたりの扇子を持った人(なんと呼ぶのか調べてみたのですがわかりません)が、扇子を上下表裏動かしてから、「そーれ」と言って綱につかまって身体を前に倒しながら扇子を前に出すのに合わせ、引き手が引っ張って重そうな鉾が動き出すとわくわくします。
次々と物語を表現したり、古くから伝わったり現代の画家の絵を織ったタペストリーを飾った山が続きます。最後はくじ取らずの復興なった大船鉾。大きいので辻回しも迫力がありました。今年は竜頭が完成してつけられています。
後祭は10基で前祭より少ないですが物足りないということもなく、そんなに間があかずに花笠巡行がやってきました。
子どもたちの御神輿、武者行列、馬に乗った稚児、鷺舞、きれいどころが乗った山車、太鼓など。
ごめんなさい、芸妓さんよりおにいさんたちが大きく写ってしまいました。
寺町のアーケードあたりでしたら、間近で見られます。
この後、祇園でランチをして、いったんそれぞれ帰って、また夜9時に河原町通と四条通交差点で待ち合わせました。
友人は待ち合わせ場所に来る途中御神輿に出会い、すっかり熱気に興奮してしまい、私が去年八坂神社までついていこうかと思ったというのも理解できたと言っていました。
そこで西御座が通るのを見届けましたが、西御座は最後のはず、思ったより早く中御座と東御座は通ってしまったようなので、八坂神社石段下へ向かいました。
御神輿が通る経路図ではまっすぐ四条通を通るように書いてありますが、途中で見かけなかったのにどこへ行ったのでしょう?
しかし無事に御神輿がきて、観客もかけ声に合わせて手拍子したり、もう気分は一体となっていました。御神輿を頭より高く持ち上げてゆする「差し上げ」にも拍手。今時の俳優にはいない、映画に出したいような面魂の人がたくさんいる、という友人のことばに同感でした。
その後境内にはいって再び御神輿が来るのを待ちました。
1基ずつ順番に来て本殿前の舞殿のまわりを3周?まわり、差し上げなどして、舞殿の中に安置され、午前0時になると、明かりがすべて消されました。御霊が御神輿から本殿へ移る御霊移しが行われるのです。
ガイドブックなどには真っ暗闇と書いてありますが、都会の中心ゆえ、思ったほど真っ暗ではありませんが、舞殿の中は暗くて見えず、和琴の音と「オ〜〜」という声だけが神殿の屋根の下に聞こえるのはたいへん神秘的でした。
一度は体験したい行事、今年思い切って行ってよかったです。
祇園祭 前祭2
昨日から後祭の宵山が始まっているのですが、今日は、書く時間がなかった前祭(さきまつり)の宵山(宵々々山)の日の事を書こうかと思います。
宵々々山の朝10時半に友人と待ち合わせました。実家が京都で今は大阪に住んでいる人で、お札を返しに来るという事で、ランチの予約もしてくれました。
約束に遅れそうであせっていたのに、長刀鉾のところで消防訓練だといって、足止めされてしまいました。ただでさえ、そのあたりは人が多くて通り抜けるのがたいへんなのに。
友人は呉服屋さんではぎれを見ながら待っていてくれて、ふたりで計り売りの正絹の着物地を数種類ずつ買いました。破格のお値段でした。昭和の子どもの着物地みたいな懐かしい模様のもありました。何に使おうかしら。
鉾町は、平日の朝だというのに、けっこうな人出でした。
大丸デパートの洛中洛外図の屏風や高島屋の木村英輝氏の屏風やグッズなど見ながら祇園に向かいました。
友人が予約してくれたのは観光客でいつも賑わっている花見小路にある、津田楼さん。
オーナーは清水三年坂美術館の館長でもいらっしゃるそうで、併設のお店にはこれ以上はないというほど緻密な七宝の小さな作品や1930年頃と、それ以前のバカラのグラス、木版画などが置いてあります。
私たちはカウンター席を選び、お店のかたと時折お話したり、お庭の涼しげな緑を眺めながら繊細なお料理を味わいました。
お料理の一部ですが、お見せしますね。
なんともかわいらしいおちょこにお料理がよそってあって、おいしく楽しいです。
いったん帰宅してから、関東から着物文化の研修に急遽来る事になったという友人と軽い夕食を一緒にすることになったので、また出かけました。
量が調節できるので、地場野菜中心のバイキングの「都野菜・賀茂」というお店に行きました。軽く、と言いながらけっこう食べてしまいました。
長刀鉾です。ここは未だに女性は上がらせてくれません。
ちょうど囃子方が乗ってお囃子を演奏中で、お祭の雰囲気も盛り上がっていました。
月鉾です。
蟷螂山の会所です。ご神体、懸装品のタペストリー、カマキリ(山には別のが乗っていました)が安置されています。
Tシャツなどのグッズも大人気です。
翌朝、ふたりで霰天神山に火の用心のお札をいただきに行きました。
長蛇の列だと思ったら、お隣の豚まんを買う人の列でした。近辺で立ってほおばる人もいました。
彼女は呉服の誉田屋さんに行くというので、そこまで歩いて行く途中、山伏山を通ると、山伏さんたちが護摩木を焚いているところでした。
ホラ貝も始まりました。
茅の輪くぐりもできるので、人が並んでいます。
友人の目的地、誉田屋さんに着きました。帆布
に木村英輝さんが鯉を描いた大きな作品が目を引きます。創業270周年を記念して270匹の鯉を描いたそうで、毎年1匹ずつ書き足し、今年は278匹目になったそうです。
ここで友人と別れてから、私は菊水鉾に上がらせていただいてから、帰りました。