大原 寂光院
三千院を拝観してから昼食をとって一休み、それから寂光院に行きました。
寂光院は聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うために建立したそうです。
出家して建礼門院となり、ここで暮らしたことで有名です。
都を逃れ、自らこの静かな山里を選んでのことだそうです。
建礼門院と侍女たちのお墓もこの地にあります。
残念な事に、寂光院は放火による火事で焼けてしまい、再建されました。
建礼門院と侍女の阿波の内侍の像も焼けてしまいましたが、ご本尊のお地蔵様は
黒くなりながらも朝日の中に立っていらしたということです。
そして胎内の三千数百体の小さなお地蔵様はほとんどご無事で収蔵院に展示されています。
前に訪れた時のボランティアのガイドさんの説明によると、大原女の服装は
阿波の内侍が野良仕事をする時のいでたちを里の女性たちが真似たものだそうです。
山里の女性たちには都の高貴な女性の姿がおしゃれに見えたのでしょう。
侍女といっても宮中にいれば野良仕事などするはずもない身分の高い家の出だったでしょうに。
建礼門院の母親ぐらいのお年だったそうですが、この阿波の内侍が紫蘇を使って作った
お漬け物を建礼門院が気に入って「柴漬け」と名付けたとか。
庵の質素な生活の中で、建礼門院を少しでも慰めようと阿波の内侍は心を砕いて毎日立ち働いていたことでしょう。
天皇の母となるという栄華の絶頂から一転して、戦乱の地獄で親族を失った建礼門院は
この静かな山里で心の平和を取り戻すことができたのでしょうか。
帰り道、コスモスの花が遠くの山を背景に揺れていました。