「動いている庭」を見に立誠シネマに行きました
たまたま「動いている庭」という本の広告を見かけて検索したら、ちょうど映画を上映中と知りました。
京都の上映会場である木屋町にある立誠シネマは、元小学校の建物にありました。
何度も前を通ったことがありながら、映画館が入っているとは気づきませんでした。
「動いている庭」は、庭師(作庭家というべきか)のジル・クレマンが自分の広大な庭を案内したり手入れしたりしながら庭に対して持っている哲学を語るところや、講演のために来日して、日本の庭を研究しているフランス人と日本人と名庭を巡りながら語るところを撮影したドキュメンタリーです。おでんを食べる時には、コンニャクに驚いて、あの花の根が食べられるとは知らなかったとか、ごぼうも食べられるとは思わなかったと、庭師らしい感想を述べていました。
ジル・クレマンは「できるだけあわせて、なるべく逆らわない」という主義で、彼の庭は自然に生えてきたものも生かし、ちょっと見には自然そのままに見えるのですが、最小限のいらないものは抜いたりもしています。
「通り道にこの草が生えてきたけれど、抜きたくないので、道を変えました。それが動いている庭です」と語っています。
日本の庭は、木を常に同じにしておくために刈り込むが、木は生長するものなのにおかしいとも。
瑞々しい緑の中で、雨の中作業する音や色彩、小さな流れにサンショウウオがいたりするのも、心地よかったです。
昼食をとらずに行ったので、始まる前にカフェに行きました。食事はないので、クッキーとほうじ茶をいただきました。ほうじ茶は熱くて飲みきれなかったので、会場に持って行きました。
カフェは一階の入り口を入ってすぐのところにあるのですが、最初見逃してしまいました。よく見ると「営業中」の札が。
カフェの中です。
窓際に座りました。中庭に面しています。
私に写真の知識と腕があれば、もっと素敵に撮れるのに、残念。
カフェの窓から正面に見えた水道です。
校舎は1923年に建設されたもので、小学校は1993年開校、今はイベントなどにも使われています。この地でリュミエール兄弟のシネマトグラフが日本で最初に投影されたとのことです。
校歌と卒業生制作のパネルがありました。
シネマは3階にあって、定員数十人と小ぢんまりしています。低い椅子にくつろいで座って見られました。
今度この建物を宿泊施設にする計画ができて、立誠シネマは名前を変えて出町柳に移転することになったと、数日前のニュースで聞きました。
ここは7月30日で閉鎖されるそうです。
この映画館、もっと早く知っていればよかった。
外観です。
高瀬川に面しています。
【重要】立誠シネマ終了、移転のお知らせ | 立誠シネマプロジェクト
ヴォーリズの建築 バザールカフェ
ブログをご無沙汰していた間のこと。
今出川駅近くのバザールカフェに行きました。今出川に住んでいた頃は何度か行きましたが、数年ぶりです。
住宅街の中にある洋風住宅をカフェとして使っています。
入り口は写真に写っているドアではなく、庭の方です。
最初に訪ねたきっかけは、この家は、メンソレータムで有名な(今は名前と商標は売ってしまったのかな?)近江兄弟社を近江八幡に創設した、宣教師でもあり、建築家でもあったヴォーリズが設計したものなので、一度見たいと思ったのです。
なぜヴォーリズの建築のファンになったかといえば、母校の校舎がヴォーリズの設計で、その建物のおかげで、私は学校に毎日喜んで通えたからです。昭和初期の建物でしたが、分厚い壁、鉄の窓枠、水晶みたいなカットガラスのドアノブ、仄暗い廊下の片隅、講堂のアーチ型の窓… 残念なことに、今は建て替えられてしまいました。
バザールカフェは壁を今の表情のない塗料で塗ってしまっているのが残念ですが、緑の庭に面したテラスでは春や初夏には気持ちよく過ごせそうです。
テラスで食事している方もいらっしゃいましたが、私は今回も室内に。
マントルピースがあります。
前は五百円のランチがありましたが、さすがにそれでは無理があったか、六百五十円になっていました。その日の日替わりランチは焼肉でした。
私は桜えびのココナツカレーにしました。お値段はランチと同じでした。
営業日は水、木、金、土です。イベントもあるようです。
貸切にも対応しているようです。
バザールカフェは普通のカフェではなく、「セクシュアリティ、年齢、国籍など、異なった現実に行きている人々が、ありのままの姿で受け入れられ、それぞれの価値観が尊重され、社会の中で共に生きる存在であることを相互に理解し合う場の創出」という目的を持って運営されているとのことです。
詳しくは
中に入って見たいと願っているのですが、大丸デパートの顧客対象のイベントなどが行われているという話は聞いたのですが、今はそのようなイベントには使われていないのか、一応カードは持っていても上得意ではない私が招待されないだけか、機会がありません。
風流人の楽園・渉成園
烏丸七条の手芸洋品店で会員セールをやっていたので、気候も良いことですし、自転車で出かけました。
東本願寺近くに差し掛かった時、「←渉成園」の表示が目に入りました。
渉成園のことは、友人が以前言っていたのを思い出し、ちょっと立ち寄ることにしました。
近辺には法衣店、念珠屋さん、全国から浄土真宗の信者さんたちが東本願寺に一度はお参りしたいと集まってくるので、旅館などが軒を連ねています。
渉成園は、東本願寺12代・宣如上人が徳川家光により寄進された土地を隠居所と定め、14代以降歴代の隠居所となっていたそうです。東本願寺の勢力の大きさが感じられますね。
「渉成園」の名は、陶淵明の漢詩「帰去来辞」の「園、日に渉って以って趣を成す」からとったそうです。
池泉回遊式庭園に建物が点在しています。
大人500円以上、高校生以下250円以上の庭園維持寄付金で入園することができます。お礼としてなかなか立派なパンフレットがいただけるので、500円ではなんだか申し訳ない気になってしまい、ほんの少しだけですが足してしまいました。
パンフレットも2種類ありましたが、初めての人用の方をいただきました。
色々な石を組み合わせた面白い石垣があって、それに沿って左に行くと、入り口があります。
パンフレットの最初の方に載っているMAPを見ながら回れば見落としもなく見所を回れたはずですが、私は最初見なかったので、順不同になってしまいました。
両側に階段がある変わった建物がありました。傍花閣です。
階上は四畳半の部屋になっているそうです。なんだか風流であると同時に童心に帰って楽しめそうな建物です。
周囲では眩しい新緑の間で鶯が囀っています。
歩いて行くと、目の前が開けて、池に向かって座っている人たちもいました。
池には島があって、お茶室があります。
後ろのビルとクレーンがガッカリですが…
池にも菖蒲や睡蓮があるので、その季節もきれいなことでしょう。
池を見渡す位置に立派な建物がありました。1865年頃に再建されたろう(門がまえに月)風亭です。ろう風とは中国の崑崙山脈の頂部にあるという山の名前だそうです。その山には仙人が住むと言われているそうです。
畳を外すと能舞台になるとのことです。
一旦入り口方向へ戻って歩いて行くと、橋が見えました。島に渡る橋です。
かつては来客の折にはこの橋に金灯篭を釣ってお迎えしたそうです。
島にはお茶室と、塩を製造する塩釜に形が似ている井戸や、全国の「塩釜の手水鉢」のお手本と言われる、宝塔の塔身を転用した手水鉢がありました。手水鉢も鎌倉時代の制作と、古いものです。
茶室、板の間、上段の間です。造られた当時は東山の方まで見渡せたようです。
庭園内は飲食禁止ですが、のんびりと四季折々の花を眺めたり、茶人が楽しんだ建物を眺めたりしながら散策できるので、また別の季節にも行ってみたいと思います。
見落としたところもありそうですし。
京のパワースポットのひとつと言われる 大将軍八神社
たまたま図書館の本で大将軍八神社の方徳殿が5月1日から5日まで公開になっていると知ったので、早速行ってみました。
5月の他に11月1日から5日にも公開されます。それ以外でも予約すれば拝観できるようです。
前にも書きましたように、現在の御所は烏丸通の方にありますが、平安時代には今の千本通(当時は朱雀通)にありました。
近くに行くと、こんなお店が。
大将軍商店街は妖怪ストリートとしてイベントなどやっているのでした。
昔ながらの洋品店、大きな金魚が水槽にいる金魚や鯉のお店、コロッケ、お漬物、パンなどちょっと懐かしい商店街です。
大将軍八神社です。
本殿にお参りしてから方徳殿(宝物殿)に行きました。
1階には平安中期から鎌倉時代のご神像が安置されています。武装像50体、
束帯像29体、童子1体です。武装像は皆、眉間に八の字のシワを寄せ、眉を釣り上げ、目を大きく開いて睨んでいますが、束帯姿の文民?はそれぞれ実在のモデルがいるのではないかと思わせるような個性あるリアルな表情をしています。
宮司さんの説明によりますと、御所を守護する神社が四方に招請され、今に残るのは北西の角(陰陽道の天門)の、この大将軍とのことです。
御所を作るにあたり、北に船山、南には干拓で農地になった巨椋池と、山と水がある地が選ばれたそうです。
2階にはひっそりと平安時代のお不動様の木像があるのですが、神仏混淆だったからということです。第2次大戦頃の外来の神様がいけないとなった時代に、大将軍神及び八将軍神と、スサノオの命とその神子八神を習合して、「大将軍八神社」となったのだそうです。
元々の大将軍とは、陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神で、方徳殿には陰陽道関係の資料も展示されています。陰陽師の仕事というのは、本来は、暦を作ることだそうです。
地球儀のような天球儀も展示されていました。この大きさのものは日本に3つしかないそうで、その内の一つとのこと。球の中心から空を見上げて見える星が記されているけれど、日本から見えない星はそこにはないそうです。
大将軍八神社は、現在も建築・移動・婚姻・旅行・交通等の厄除けの神様として信仰を集めています。
私は、長期旅行の前に、友人がここのお守りをいただいてくれました。
宮司さんによりますと、昔の御所の南東には大きな池があり、その一部は神泉苑に残り、一部は二条城のお堀に使われたそうです。
レトロな美しさの平安神宮の桜
平安神宮は修学旅行か観光バスが行くところ、と思ってませんか?
実は私、そう思っておりました。京都の人は平安神宮にはあまり行かないようですし、首都が東京に移ってしまってからのものなので、神社仏閣の中では新しく、最初から観光客目当てと思われているような。
ウン十年前の小学生の時に祖母達と乗った観光バスでも、中学の修学旅行でも、社会人一年生の時に友人と友人のペンフレンドのドイツ人と一緒に行った時も、庭は見た覚えがありません。広く敷き詰められた少し埃っぽい白い砂利の上を朱と緑の鮮やかな建物を見ながら歩いた記憶があるのみでした。
最近になって初めて平安神宮には小川治兵衛という有名な作庭家による庭があると知りました。そこに枝垂れ桜があることも。
というわけで、昨日行って見ました。
自転車で鳥居の前は通っていましたが、鳥居をくぐってみると、昔見た時より朱色と緑の派手さがだいぶ治まってきたような気がします。
別の言い方をすれば風雪に晒されたのですね。
とはいえ、まだまだ華やかです。
夕方4時ごろだったせいか、それほど並ばず拝観券が買えました。
神苑(庭)の入り口からすでに花盛りの桜が見えました。
「日本で最古の電車」が置いてありました。明治28年(1895年に京都電気鉄道が運行したものとのことです。
松やその他の緑の木々と桜が取り混ぜて植えてあって、桜ばかりが並んでいるのとはまた別の美しさです。地面には多種の草花が植えてあって(今はあまり咲いていませんが)名札と説明がありました。
池に映る桜もきれいです。
西側に木立があるので、日陰になっています。ここの写真を取りたい方は、もっと早い時間(正午とか?)にいらっしゃるといいかと。
この庭を出て花のない木立の間をしばし歩くと、大きな池のあるところに出ました。
菖蒲がたくさんあって、その季節もきっと風情があると思います。
歩いて行くと、丸い飛び石が渡れるようになっている所があって、外国からの観光客が楽しそうに渡っていました。
さらに進んで行くと、景色が変わって、ひと昔前の「京都の絵葉書」そのものが現れました。
もう少し屋根が反っていたら、中国の公園に似ていなくもないです。
普通の小さなチケット1枚きりで簡単な案内図も付いていなくて、それぞれの庭が一度に見渡せるようにはなっていないので、どういう構造になっているのか、方向音痴の私には、よくわかりませんでした。
祇園でフレンチと円山公園の桜
醍醐寺に一緒に行ったお友達と昨日はランチしました。
いつも観光客で賑わう花見小路の最初の道をちょっと右に入ったフレンチのお店です。
外は京都らしい町家に、生成りに青くお店の名前を染めたのれんがかかっています。
キャレ・ド・ミューという名ですが、横文字でアルファベットのMみたいなミュー
という字が大きく書いてあります。ミューとはギリシャ文字らしいです。
1階はカウンター席になっています。
2階のテーブル席に案内されると、純和風の外見とも1階とも別世界の、梁も壁も真っ白の明るい部屋になっています。階段と2階の廊下から、1階の厨房でシェフが腕をふるっているところがガラス越しに見えます。
各テーブルには小さな白いデンファレ。
水のコップの薄いグリーンも爽やかです。
お料理の器もガラス器を多用していますが、それが透明にキラキラ光るように照明も凝っています。なので、南仏とか地中海みたいな(行ったことありませんが)気分になります。
細長いグラスに暖かいスープと冷たいスープが層になっていたり、緑の野菜で飾られたホタルイカが載ったアスパラのババロアにその場でオレンジ色のガスパチョをかけてくれたり、料理も工夫を凝らしていますし、見た目も色どりも綺麗です。見た目だけでなくお味も美味しいんです。そしてお値段はこんなに楽しませてもらって大満足なのにリーズナブルだと、お友達も大喜びでした。
私は3回目ですが、今回は季節に合わせて箸置き(ナイフとフォーク、箸が置いてあって好きな方を使えます)はガラスの桜、食後の口直しのグラニテは桜とココナツミルク、ワゴンサービスで選べる(全種類でも!)デザードの中にも桜のロールケーキがありました。
自分のための記録としても写真を撮りましたが、腕が悪い悲しさ、あまりにも実物の美しさ美味しさと程遠いので、載せないでおきます。ブログに載せていいかどうかも聞いておかなかったことですし。
お友達が円山公園の可哀想な桜を見てから、新幹線に乗って帰るというので、そぞろ歩いて行きました。
白川もついでに見ようかと思ったのですが、思ったより遠かったので途中で気が変わって、知恩院の前を通って円山公園に行きました。
知恩院前では色々な国の人たちが記念写真を撮っていました。イスラム教徒らしき女性ばかりの団体さんもいました。
醍醐寺を拝観したあと、もう他の桜を見ても感激しなくなってしまったかも、と二人で言っていたのですが、そんなことはありませんでした。ソメイヨシノはあまり見なかったですし。
円山公園は予想どおり、多国籍の観光客が桜を楽しんでいました。
有名な枝垂れ桜が少し小さくなった気がするのは、醍醐寺の大きな木を見たあとだからでしょうか。やはりカラスにつつかれるせいなのでしょうか。
円山公園も綺麗でしたよ。
醍醐の桜!
急に京都に来ることになった友人が、数十年ぶりに醍醐寺に行きたいというので、一緒に行くことになりました。昨日(4月6日)のことです。
今年は桜の開花が遅めなので、どの程度咲いているか少し心配でした。
地下鉄東西線の醍醐駅で待ち合わせましたが、地下鉄に乗っていたほぼ95%の人が醍醐で降りました。みんな行き先は同じだったのですね。
地上に出ると、ボランティアの方達が道案内をしてくださっていました。
バスもあったのですが、歩いても15分ということでしたので、歩くことにしました。
友人は着物が大好きで遊び着も着物なのですが、最近は低反発草履というのがあるそうで、15分くらい全然平気ということでした。何しろ徒歩で四国のお遍路も結願した人です。
みなさん目的地が同じなので、道に迷う心配もなく、無事到着。
門前にも桜があってきれいに咲いています。
でもこれはほんの序の口。
拝観券売り場は長蛇の人でした。
見ると、臨時売り場というのがあり、あまり人がいなかったので、本当にそこで買えるのかしらと思いながら行って見たら、大丈夫だったので、ほとんど待たずに入れました。
前に来た時から印象的だったしだれ桜と他にも桜がほぼ満開でした。美しい。
けれど、絢爛豪華な桜の饗宴にはまだまだ先がありました。
大玄関から建物の中に入ると、国宝の表書院があり、池に苔の生えた橋を配した庭園が見事でした。太閤秀吉自らが基本設計をしたものだそうです。
醍醐寺には醍醐・朱雀・村上の三代の天皇が帰依されたため、菊の御紋と、秀吉の五七の桐の紋があちらこちらにありました。
通常非公開の本堂は別料金でしたが、せっかくなので拝観しました。快慶の弥勒菩薩が祀られています。
この三宝院エリアを出て、先に進み、仁王門に向かいました。門前の桜、門の向こうにはモミジの新芽が春らしくて素敵でした。
紅白の幕が張られた道を辿ると、広い敷地に金堂があり、滅多に見ない高さのしだれ桜、そこここに種類の違う桜があって、別天地でした。
951年に完成したという五重塔にも絵葉書か何かのように桜がマッチしていました。
不動堂、祖師堂、西国第十一番札所である観音堂、弁天堂などを拝観しながら庭を巡りました。
最後に霊宝館エリアに行きました。
そこにも桜の木が何本もあり、濃淡の違う花が一層の美しさでした。
平成館で仏像や絵画などを拝見してから外に出て、何本もの花盛りの桜を楽しみました。平成館から見えた大きなしだれ桜も。
これで全部だろうと思うとさらに立派な桜がある、ほんの一部しかお見せできていませんが、本当に贅沢極まりない時間を過ごすことができました。
タイミングの良い時期に訪ねることができたことを二人して仏様に感謝しつつ、駅ビルで遅い昼食をとって帰りました。