岩船寺と当尾(とうの)
去年(2014年)の10月に書いたものです 。
みごとな筋肉痛です。昨日お天気も気候もよいので、前から行ってみたかった浄瑠璃寺と岩船寺の間の野道をたどりに行ったのです。ある人と一緒に行こうと約束していた道…はっきり約束と言ってたわけではなかったのだけど。
そんな距離あるいたわけでもなく、そんなに険しいわけでもないけど、ふだん自転車ばかりで歩いてないツケですね。
まず岩船寺目指します。
朝ネットで見たら加茂からの徒歩コースもありのようだったので(勘違い?)、まず加茂に行きました。思ったよりここまでは順調。お腹が空いてしまったので空腹に弱い私は駅から見渡して一軒だけ見えた営業していそうなお店に。
遠目にケーキとコーヒーと書いてあるのが見えていたのですが、ランチとサンドウィッチもありました。
どこをどう行けばいいのかも地図を見てもよくわからず、ひとりで延々と歩くことを考えたらめげました。岩船寺までバスに乗ることにしました。
1時間に1本なので、本など読んで時間を調整しました。
バスは貸し切り状態でした。若い親切な運転手さんが、カーブが多いので乗り物酔いしやすいかたは前の方の席に、と助言してくださった通り、すごいカーブの連続でしたが、とてもていねいで上手な運転なので、むしろ気持ちがよかったです。
バスから降りて、僧侶が身体を清めていたという石のお風呂を左に見ながら境内に入ると、いにしえから人々を見守っていらした石の仏様が。
正面には緑の中に赤い塔が映えています。
堂内に入ると、他にも数人参拝客が来て、住職が出てこられて、説明してくださいました。
ご本尊の大きな阿弥陀如来は1000年以上前のケヤキの一本造りだそうです。左奥に安置されている、象に乗られている普賢菩薩には「南山城の古寺巡礼」という展覧会でもお会いしましたが、明るい所で見たときと雰囲気が違います。
御朱印をお願いしました。ご不在のときはあらかじめ書いてあるものが用意してあるようです。毎日眺めて心に留めたいことばが書いてある色紙も購入しましたら、絵はがきをつけてくださいました。
門前には野菜などを小さな袋に入れてつり下げて売っている有人無人の販売所が並んでいるのですが、山門を出て石仏を訪ねるのにどの方向に行ったらいいのか悩んでいると、ひとつの販売所の女性が声をかけてくれました。
案内図を取り出して、私ならこちらの道、一願不動がいいし、わらい仏の所は見晴らしもよいので、そこでぼーっと山を眺めるのもいい、と。
なにか買わないとわるいかしら、と思って、その緑のは何ですか?と聞くと、「珍しいから置いているけどおいしくない」「ただでいいからコーヒーあげましょうか?」とただただ親切なばかりで商売気がありません。
あなた心配だから間違えないか見ていてあげる、とわざわざ出てきて見送ってくれました。
下り坂になっている正しい方の道に入る前にもう一度振り返ると、両腕で大きな丸を作ってから手を振ってくれました。私もおじぎをして手を振って歩き出しました。
誰もいない木漏れ日の道をずんずん歩いて行くと、一願不動と矢印が書いてあったので、ちょっと道からそれて降りていくと、目をぎょろっとさせたお不動様がおわしましたので、ひとつだけお願いをしました。ひとつだけ願い事を熱心に願うとかなえられるそうなのです。お不動様は怒りの表情をしているとのことですが、この石仏のお不動様はあまり怖くなくてユーモアのあるお顔です。
元の道に戻り、先に進むと眺望が開けて、さんさんと日の光が降り注ぐ中に、ねむり地蔵とわらい仏が。
ねむり地蔵はふとんにもぐって頭だけをだしているみたいに、身体は土に埋もれてまるい頭だけが見えています。風化して少しぼんやりしたお顔なせいで、夢見ているようでもあり、あるいは象徴派の絵画みたいに生と死の間で恍惚としているようにも見えます。
わらい仏は中央が阿弥陀如来、右が観音、左が勢至菩薩。永仁(1299年)の銘文があるそうですが、そんなに昔から、この山々の風景と、悲喜こもごも抱えた人間を見守ってこられたのだなあ。それにしても、観音様のお顔が親しかった人によく似ていて、静けさと明るい日差しとその微笑みが胸にしみるのでした。
そのまま先に進み始めましたが、道が軽く上り坂になっていきます。岩船寺から浄瑠璃寺まではずっと下りで40分だったはず、そういえば少し道をそれたのだったと気がついて、少し戻ってから下って行くと、カラスの壷二尊がありました。カラスというのは鳥ではなく、唐臼らしいです。
薮野中の三尊磨崖仏をお参りして400mほどで浄瑠璃寺です。
浄瑠璃寺は大好きで何度か来ていますが、ちょうどバスが来ていて、1時間あとにするか迷いましたが(こちらのバスも1時間に1本です)、今回はこのまま奈良に出て、正倉院展に行くことにしました。
(2014年10月25日記)