レトロな美しさの平安神宮の桜
平安神宮は修学旅行か観光バスが行くところ、と思ってませんか?
実は私、そう思っておりました。京都の人は平安神宮にはあまり行かないようですし、首都が東京に移ってしまってからのものなので、神社仏閣の中では新しく、最初から観光客目当てと思われているような。
ウン十年前の小学生の時に祖母達と乗った観光バスでも、中学の修学旅行でも、社会人一年生の時に友人と友人のペンフレンドのドイツ人と一緒に行った時も、庭は見た覚えがありません。広く敷き詰められた少し埃っぽい白い砂利の上を朱と緑の鮮やかな建物を見ながら歩いた記憶があるのみでした。
最近になって初めて平安神宮には小川治兵衛という有名な作庭家による庭があると知りました。そこに枝垂れ桜があることも。
というわけで、昨日行って見ました。
自転車で鳥居の前は通っていましたが、鳥居をくぐってみると、昔見た時より朱色と緑の派手さがだいぶ治まってきたような気がします。
別の言い方をすれば風雪に晒されたのですね。
とはいえ、まだまだ華やかです。
夕方4時ごろだったせいか、それほど並ばず拝観券が買えました。
神苑(庭)の入り口からすでに花盛りの桜が見えました。
「日本で最古の電車」が置いてありました。明治28年(1895年に京都電気鉄道が運行したものとのことです。
松やその他の緑の木々と桜が取り混ぜて植えてあって、桜ばかりが並んでいるのとはまた別の美しさです。地面には多種の草花が植えてあって(今はあまり咲いていませんが)名札と説明がありました。
池に映る桜もきれいです。
西側に木立があるので、日陰になっています。ここの写真を取りたい方は、もっと早い時間(正午とか?)にいらっしゃるといいかと。
この庭を出て花のない木立の間をしばし歩くと、大きな池のあるところに出ました。
菖蒲がたくさんあって、その季節もきっと風情があると思います。
歩いて行くと、丸い飛び石が渡れるようになっている所があって、外国からの観光客が楽しそうに渡っていました。
さらに進んで行くと、景色が変わって、ひと昔前の「京都の絵葉書」そのものが現れました。
もう少し屋根が反っていたら、中国の公園に似ていなくもないです。
普通の小さなチケット1枚きりで簡単な案内図も付いていなくて、それぞれの庭が一度に見渡せるようにはなっていないので、どういう構造になっているのか、方向音痴の私には、よくわかりませんでした。
祇園でフレンチと円山公園の桜
醍醐寺に一緒に行ったお友達と昨日はランチしました。
いつも観光客で賑わう花見小路の最初の道をちょっと右に入ったフレンチのお店です。
外は京都らしい町家に、生成りに青くお店の名前を染めたのれんがかかっています。
キャレ・ド・ミューという名ですが、横文字でアルファベットのMみたいなミュー
という字が大きく書いてあります。ミューとはギリシャ文字らしいです。
1階はカウンター席になっています。
2階のテーブル席に案内されると、純和風の外見とも1階とも別世界の、梁も壁も真っ白の明るい部屋になっています。階段と2階の廊下から、1階の厨房でシェフが腕をふるっているところがガラス越しに見えます。
各テーブルには小さな白いデンファレ。
水のコップの薄いグリーンも爽やかです。
お料理の器もガラス器を多用していますが、それが透明にキラキラ光るように照明も凝っています。なので、南仏とか地中海みたいな(行ったことありませんが)気分になります。
細長いグラスに暖かいスープと冷たいスープが層になっていたり、緑の野菜で飾られたホタルイカが載ったアスパラのババロアにその場でオレンジ色のガスパチョをかけてくれたり、料理も工夫を凝らしていますし、見た目も色どりも綺麗です。見た目だけでなくお味も美味しいんです。そしてお値段はこんなに楽しませてもらって大満足なのにリーズナブルだと、お友達も大喜びでした。
私は3回目ですが、今回は季節に合わせて箸置き(ナイフとフォーク、箸が置いてあって好きな方を使えます)はガラスの桜、食後の口直しのグラニテは桜とココナツミルク、ワゴンサービスで選べる(全種類でも!)デザードの中にも桜のロールケーキがありました。
自分のための記録としても写真を撮りましたが、腕が悪い悲しさ、あまりにも実物の美しさ美味しさと程遠いので、載せないでおきます。ブログに載せていいかどうかも聞いておかなかったことですし。
お友達が円山公園の可哀想な桜を見てから、新幹線に乗って帰るというので、そぞろ歩いて行きました。
白川もついでに見ようかと思ったのですが、思ったより遠かったので途中で気が変わって、知恩院の前を通って円山公園に行きました。
知恩院前では色々な国の人たちが記念写真を撮っていました。イスラム教徒らしき女性ばかりの団体さんもいました。
醍醐寺を拝観したあと、もう他の桜を見ても感激しなくなってしまったかも、と二人で言っていたのですが、そんなことはありませんでした。ソメイヨシノはあまり見なかったですし。
円山公園は予想どおり、多国籍の観光客が桜を楽しんでいました。
有名な枝垂れ桜が少し小さくなった気がするのは、醍醐寺の大きな木を見たあとだからでしょうか。やはりカラスにつつかれるせいなのでしょうか。
円山公園も綺麗でしたよ。
醍醐の桜!
急に京都に来ることになった友人が、数十年ぶりに醍醐寺に行きたいというので、一緒に行くことになりました。昨日(4月6日)のことです。
今年は桜の開花が遅めなので、どの程度咲いているか少し心配でした。
地下鉄東西線の醍醐駅で待ち合わせましたが、地下鉄に乗っていたほぼ95%の人が醍醐で降りました。みんな行き先は同じだったのですね。
地上に出ると、ボランティアの方達が道案内をしてくださっていました。
バスもあったのですが、歩いても15分ということでしたので、歩くことにしました。
友人は着物が大好きで遊び着も着物なのですが、最近は低反発草履というのがあるそうで、15分くらい全然平気ということでした。何しろ徒歩で四国のお遍路も結願した人です。
みなさん目的地が同じなので、道に迷う心配もなく、無事到着。
門前にも桜があってきれいに咲いています。
でもこれはほんの序の口。
拝観券売り場は長蛇の人でした。
見ると、臨時売り場というのがあり、あまり人がいなかったので、本当にそこで買えるのかしらと思いながら行って見たら、大丈夫だったので、ほとんど待たずに入れました。
前に来た時から印象的だったしだれ桜と他にも桜がほぼ満開でした。美しい。
けれど、絢爛豪華な桜の饗宴にはまだまだ先がありました。
大玄関から建物の中に入ると、国宝の表書院があり、池に苔の生えた橋を配した庭園が見事でした。太閤秀吉自らが基本設計をしたものだそうです。
醍醐寺には醍醐・朱雀・村上の三代の天皇が帰依されたため、菊の御紋と、秀吉の五七の桐の紋があちらこちらにありました。
通常非公開の本堂は別料金でしたが、せっかくなので拝観しました。快慶の弥勒菩薩が祀られています。
この三宝院エリアを出て、先に進み、仁王門に向かいました。門前の桜、門の向こうにはモミジの新芽が春らしくて素敵でした。
紅白の幕が張られた道を辿ると、広い敷地に金堂があり、滅多に見ない高さのしだれ桜、そこここに種類の違う桜があって、別天地でした。
951年に完成したという五重塔にも絵葉書か何かのように桜がマッチしていました。
不動堂、祖師堂、西国第十一番札所である観音堂、弁天堂などを拝観しながら庭を巡りました。
最後に霊宝館エリアに行きました。
そこにも桜の木が何本もあり、濃淡の違う花が一層の美しさでした。
平成館で仏像や絵画などを拝見してから外に出て、何本もの花盛りの桜を楽しみました。平成館から見えた大きなしだれ桜も。
これで全部だろうと思うとさらに立派な桜がある、ほんの一部しかお見せできていませんが、本当に贅沢極まりない時間を過ごすことができました。
タイミングの良い時期に訪ねることができたことを二人して仏様に感謝しつつ、駅ビルで遅い昼食をとって帰りました。
岡崎(京都市内)の桜
昨日は岡山に行こうと思ったのですが、電車に乗り遅れたので、府立図書館に行ってみよう、と思い立ち、地下鉄東西線の蹴上に降り立ちました。
道沿いに桜並木がありますが、まだほとんど咲いていませんでした。
地下鉄の階段を上がってすぐ、道路の向かいに見えるトンネルは大きな負荷に耐えるように捻ったようにレンガが積んであるので、ねじりまんぼと呼ばれています。
土手の上には線路があります。
トンネルを掘って琵琶湖から水を引くと同時に、舟がここ蹴上から南禅寺船溜までは陸上を通るように線路が引かれ、今は使っていないものの残されているので、たどって歩くことができます。昨日はお天気も良かったので、結構たくさんの人が歩いていました。
舟は当時、台車に乗せてワイヤーロープを巻き上げて移動させていました。
琵琶湖からこの線路(インクライン)までのトンネルの中は真っ暗だったので、ロープを伝って舟を進めたとか。
ろくに機材もない頃に、大変な難工事で、犠牲者も出たようです。
土手の桜が開花したら綺麗でしょうね。
写真を撮り忘れましたが、左手には今も電気を供給している水力発電所があります。
また、疏水記念館の噴水は、電気を使わずに琵琶湖からの高低差だけで吹き上がっているそうです。
だいぶ咲いている木もありました。
動物園の小ぶりな観覧車がレトロでのどかです。
京都は都会でありながら山に囲まれ、自然が豊かなところが好きです。手前は琵琶湖疏水です。
友人が前に連れて行ってくれた動物園近くのごぼうの天ぷらをたっぷり載せたお蕎麦のお店、まだ11時になるかならないかだというのに、もう人が並んでいました。
府立図書館です。ご覧のとおり、古い建物の外観を残し、新しく建てられています。中は撮影禁止なので残念でしたが、螺旋階段と光がなかなか素敵でした。
出町ふたばはやはり混んでいました
昨日、おはぎを買いたくて、出町のふたばさんに行きました。
(春はぼた餅、秋はおはぎと言うそうですが、うちでは季節に関係なくおはぎと呼んでいましたし、お店にも「おはぎ」と買いてありました)
朝一番でと思っていたのに、遅くなり、11時過ぎてしまったら、すでに行列ができていました。
みなさん豆餅(豆大福)に何かプラスして買っていました。
お店の幅で行列が折り返していたのですが、5重にもなっていました。
40分ぐらいかかったでしょうか。そんなことではないかと電子書籍を持って行ったので、読みながら待ちました。
私は豆餅はつぶあんときな粉のおはぎ(こしあん入り)、それに加えて、ひな祭りに食べるのを忘れた桜餅にしました。
包装紙もいつものと違う桜色のでした。
どれも美味しゅうございました。
もちろんいっぺんに食したりはしておりません。でも、賞味期限が写真にも写っている通り「本日中」でしたので…
甘いもの食べすぎです。
8時過ぎから電話を受けてくださるそうですので、予約しておけば並ばずに買えます。
でも、2個や3個ではなんだか気が引けますね。
京の金平糖
先週確定申告に行きました。申告する内容も金額もたいしてないのですが、これで合っているかな?と少し不安でした。申請窓口で「しっかり書けてます」と言っていただき、ホッとしました。
帰り道、自転車を走らせていると、甘い匂いが漂ってきました。緑寿庵清水さんで金平糖を作っている香りです。コーヒーを飲みながら一粒ふた粒つまむのにちょうどいいと思い立って、久しぶりに寄りました。
数年前に通った時は、行列ができていましたが、今回は外で待つ人が誰もいなかったので、飽きっぽい日本人のこと、もう落ち着いたのかなと思ったのですが…
小袋が全部売り切れでした。
以前は、イチゴやソーダは朝行かないと売り切れてしまっていたものの、午後でも何かしら残っていたのですが。争奪戦がますます熾烈になっていたのですね。
金平糖はお砂糖のかたまりぐらいに思っていたのですが、緑寿庵清水さんを知ってから、認識が変わりました。
カタログの最初のページには、「金平糖はレシピがなく、気温や天候によって蜜の濃度や窯の角度と温度、窯で転がる金平糖の音を危機状態を見極めて五感を使いながら体で覚えていく一子相伝の技で、砂糖の金平糖が作れるようになるのにもコテ入れ10年、蜜かけ10年、20年かかると言われています。さらに砂糖に素材を加えると結晶しないと言うお菓子作りの常識をくつがえし、一種類16日から20日間かけて可能にしました」と書いてあります。
生の果物を使って作った金平糖は砂糖に着色料だけのと違って、本当に美味しいんです。
フルーツ味の他に、ゴマや蕎麦と黒砂糖とか、季節限定で予約が必要なブランデー、梅酒、日本酒、シャトー・ヴァンブランなど、月ごとに旬の素材をテーマにしたもの、お節句や母の日用などいろいろあります。
茶道用のもあって、おふりだしという器に入っているのもあるのですが、前のカタログに載っていた人間国宝が作ったおふりだし入りのは、確か十数万円だったような。
そこまで高級ではないですが、日本酒のを私としては奮発して予約購入したことがあるのですが、友人たちに少量お味見用にあげたところ、至極気に入ったという人、酒粕みたいだとあまり評価しない人がいました。もう食べてしまいましたが、焼き物のとっくりと桐箱は残っています。
今回、季節限定でほんのりピンクの桜の金平糖と、淡い緑の緑衣黄がありました。ふと、父上の介護中の友人にあげようと思い、それならばと、華やかなピンクの方を選びました。一足早い桜です。
このお店はガイドブックなどにも載っているようで、観光客も多く来店するようですが、京都の人も、日持ちがするからお使い物に良いと、利用しているそうです。
蛇足ですが、税務署の裏手にお蔵と庭園がありました。
京都ならでは、でしょうか?
京都国際マンガミュージアムで再会
今日の新聞で、京都国際マンガミュージアムの館長に荒俣宏氏が就任のニュースを見ました。マンガミュージアムには、ちょうど昨日行って来たところです。
なぜ急にマンガミュージアムに行こうと思い立ったかというと、小学生の頃続きが読みたくてたまらなかった、わたなべまさこさんの「従姉妹マリア」が資料室にあることを、検索していて知ったからなのです。
「従姉妹マリア」は週刊マーガレットに連載されていたのですが、小学生の頃は、母が夏休みに旅行に行く時以外にはマンガを買ってくれなかったので、ところどころ級友に見せてもらったものの、毎週は借りられず、今でも時々あのストーリーはどうなったのだろうと思っていたのでした。
両親が離婚して母と暮らしていたマリアは母が亡くなってから父のお城(!)に引き取られるのですが、海の事故で死んだと思われるけれど遺体が見つかっていない母違いの従姉妹の存在がマリアを苦しめ、その従姉妹を溺愛していたずっと年上の従姉妹に意地悪をされたり、ついにはマリアの亡霊が現れたり、などというミステリアスなストーリーです。
その作品に半世紀ぶりにマンガミュージアムで再会したのでした。
まず、入り口の券売機でチケット(800円)を購入して中に入ります。
ミュージアムショップと各国語のマンガ、特に日本の漫画の各国語訳が置いてあるコーナーを通り抜け、ワクワクしながら3階の研究閲覧室に向かいました。
お目当の「従姉妹マリア」は普通の書架ではなく、研究閲覧室にあるのです。研究閲覧室を利用するときは、初回に登録が必要です。一応マンガを研究している人のための部屋ではありますが、郷愁から読みたい人にも解放されています。
用紙に記入が終わると、担当職員の方が写真を撮って、登録証を作ってくださいます。
いよいよ、本を出していただいて、読み始めますと、少女時代が蘇りました。と言いたいところですが、最初はちょっと色々ツッコミを入れたくなりました。
主人公はフサフサした金髪に、真っ黒な瞳の女の子。(そんな人っているのかしら。確か「パルムの僧院」にそんな珍しい取り合わせが父親が誰か物語っている、みたいなくだりがあったような気はするけれど。)
上品で美しい母と、有色人種と思しきばあやと丘の上の豪華な家に住んでいて、母子家庭とはいえ、私たちの世代の小学生ぐらいの女の子が憧れるようなドレスを纏っています。そしてなんと、別れた父親はウィンザー城に住んでいるんです。
今になるとちょっと気恥ずかしい設定ですが、こういうのが、半世紀前の日本の女の子たちの憧れだったのだわ。
だんだんと懐かしく少女の頃のワクワクが思い出されて、妹とよく真似をして描いていたことも目に浮かんで来ました。この箇所は読んだ、というところも記憶にありました。
わたなべまさこさんは、さすがにストーリーの展開などがうまくて、「レベッカ」みたいな心の葛藤や恐怖、謎めいた出来事が毎週少しずつ連載されていたのですから、次の号を待ちかねて発売日に書店へと走った少女たちがさぞかしたくさんいたことでしょう。
やっと念願が叶いました。
ミュージアムの建物は、元は龍池小学校という学校で、その面影を残しています。ヒールの靴で歩くと、木の床がドカドカと音がします。書架の前にあるベンチでは、結構たくさんの人が読みふけっています。靴を脱いで入る、遠目に絵本のように見える本が並んだコーナーでは、寝そべって読んでいる人も多くいました。季節がいい時には外の人工芝の上で読むこともできます。
喉が渇いてしまいましたが、飲み物は持ち込み禁止、併設のカフェで、ということです。こぼす人がいると困るのでしょうけど、ちょっと残念。
館内は撮影禁止でした。
公式サイトはこちら 京都国際マンガミュージアム