京都生活 ー雨音に惚れてー

東京から京都に越して来て築90年?の家に住んでいます。見に来ていたときに降り出した突然の雨がトタンの部分に当たる音に惚れて決断した家です。おもしろいこと、すてきな場所、京都について感じたことについて綴ります。

京都御所

播磨屋さんのおかきが食べたいなあと思っていたら、ダイレクトメールが来て、お徳用袋入りが今ある袋を使い切った時点で販売終了になると書いてあったので、自転車で買いに出かけました。

さらにお得な期間限定の袋入りのもありましたが、あるとつい食べ過ぎるので、控えめに?買ってお店を出ました。

 

播磨屋さんが面している烏丸通の向こう側は京都御所です。ここにも梅があるので、見ながら今出川通方面まで、中を通って行くことにしました。

御所と言っても、本当は、一部分が御所で、周りの公園は御苑というのが正式なのですが、皆さん全体を京都御所と呼んでいます。以前京都の人に「御苑」と言ったら、関東の言い方だと言われてしまいましたが、東京でも実は言いません。やはり「京都御所」でしょう。

梅は半分ぐらいの木が咲いていました。

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紫式部清少納言がいた頃の御所はここではなく、もっと西の方、昔は朱雀大路と呼ばれていた千本通の方にあったのですが、南北朝後にここに移り、豊臣秀吉が整備して、貴族たちの邸も周りに建てたのだそうです。明治維新で皇室が東京に移ると、貴族達も一緒に行ってしまい、屋敷は取り壊されて、有栖川邸だけが移築されて平安学院の所有になっています。

 

そんな場所柄でしょうか。大きな松がたくさんあります。

鳥がいました。

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塀で囲まれているのが御所です。以前は特別公開の時にしか見学できませんでしたが、今は予約不要で見学できるようになりました。時間等は下記のサイトを御覧ください。

京都観光Navi:京都御所

 

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自転車だとジャリジャリして乗りにくいので、なるべく他の自転車がつけた獣道ならぬ

自転車道を走ります。すると向こうから自転車が来たり、歩行者でもジャリジャリが嫌な人が歩いていたり。

 

御所の塀に沿って曲がると、大文字が向こうの方に見えます。写真ではよく見えませんが、山の三角に茶色くなったところに大の字があります。五山送り火を見るには、ここはちょっとした穴場だそうです。大しか見えませんが。

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御苑を出たところには梨木神社があるのですが、財政難からか鳥居の内側にマンションが建ってしまって、鳥居がマンションの入り口みたいになってしまって、どうなんでしょうね。神社の入り口は寺町通の方になっていますが。

 

 

 

京都府立植物園の梅

家を出たのが遅かったので、植物園全体ではなく、梅林だけ見てきました。

梅林といっても、北野天満宮に比べたら木の数がぐっと少ないのですが。

 

植物園に入ると、パンジーなど鮮やかな春色の花が咲いていましたが、全体的にはまだまだ冬枯れの薄茶色がかった風景です。

でも、梅は咲いていました。

 

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メタセコイアや針葉樹などの木立を抜けると向こうに梅林が見えてきました。

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近づいてみると、開花しているのは半分弱、まだ蕾ばかりの木もありました。

周りが深い緑の木々なので、里山にいるような印象です。

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写真の上手な方から見ると、お見苦しいかと思いますが、なんとか雰囲気だけでもお伝えしたいので、載せています。

 

蝋梅が青空に映えていました。

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竹林もきれいでした。

 

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竹林の背後に展示されていた冬牡丹を見て帰りました。

 

東京や横浜に住んでいた頃は、この季節、鎌倉の瑞泉寺に行って梅や水仙を見て帰りに鶴岡八幡宮で冬牡丹を見るのが私の年中行事だったこと、懐かしく思い出しました。

瑞泉寺はビルのようなものが視野に全く入らないので、「里の春」という感じを楽しめるのです。ただ、梅が満開という時期を当てるのが難しかったです。

両親や横浜の親戚も墓参の帰りに利用していた、鎌倉駅近くの小町通りの喫茶店「門」も閉店したそうで、寂しい限りです。

 

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梅と天神市

25日の土曜日に北野天満宮に行きました。

毎月恒例の天神市もやっているし、梅の花も見頃です。

25日は梅花祭もあり、午前中は儀式があって、午後からは、近くの上七軒の芸妓さんと舞妓さんがお茶を立てて運んでくれるお茶会がありますが、こちらは別料金です。

数年前にお茶をいただきましたが、近くの席の方達が、こんなにたくさんの芸妓さんたちが勢揃いしているところなど、なかなか私たちには見る機会がないと話されていました。

 

家を出て、自転車で、鞍馬口通りをずっと西に向かいました。

京都もだんだんと古い家が取り壊されて国籍不明のデザインの家が建ったり、マンションが建ったりして、いかにも京都らしいという景色が少なくなってしまったように思いますが、西陣あたりには、まだ古い家並みが残っているところがありますので、ゆっくり京都観光される際には、そのあたりを散歩されるのも良いのではないでしょうか。

途中、ゲストハウスに改装中のところも見かけました。

こちらは元銭湯のカフェです。

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12時開店で、まだ営業していませんでしたが、フランス人?カップルが写真を撮っていました。数年前に、2度ぐらい入ったことがありますが、タイルなど銭湯だった時のものを生かしてあって、なかなか面白いです。メニューは結構ボリュームがあったと記憶しています。

上七軒を通り抜けると、古着やアンティークの露店が出ていて、その向こうに北野天満宮の西側の入り口があります。

境内に入ると、左側に長五郎餅のお店が。

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紅梅が綺麗に咲いていました。

手水舎にも天神さまにつきものの牛がいました。井戸水が渇水している時には他の手水舎を使ってくださいという内容の張り紙がありました。ここの水は井戸水なのですね。

風がまだまだ冷たい日でしたが、ここの水は温かかったです。

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手水舎の横に、1本の木に紅白の花が咲いている木がありました。当然みなさんカメラを構えていました。ちなみに、日本では梅など、1本の木に紅白の花が咲くのは源平咲きというようですが、薔薇はヨークとランカスターというようです。

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梅花祭と市と合格祈願が重なって、本殿の前は混み合っていました。

お参りして、梅園の方に行きましたが、あまりに長蛇の列なので、またの機会にしました。北野天満宮が、京都でも梅の本数は随一のようです。

梅園の外にも梅の木がそこここにあって、綺麗でした。

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境内には小さな神社がいくつもありました。

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露店でお目当のものを購入して、おまけなどもしていただき、天神さまのご利益だわ、と心楽しくまた西陣の街を通って帰りました。

 

レトロな小学校がありました。

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仁丹の広告のある古い住所表示板がある家も。

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宇治平等院

今頃になってクイーンにはまって「メイド・イン・ヘブン」など聞いていたら、なんだか平等院の雲中供養菩薩が見たくなって、宇治まで行ってきました。

みぞれや雨がパラつくあいにくのお天気でしたが、こんな日は空いているかな、と。

 

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今回はJR宇治駅から、商店街を抜けると、紫式部の像が見えてきました。

橋の向こう側に見える山並みに靄がかかっていました。

 

鳳凰堂の外壁の塗装や屋根の修復後に平等院を見るのは、初めてです。

前はどんなだったか記憶がなくなってしまいましたが、くっきりとした感じになった気がします。鳳凰もきれいな金色になりました。

鳳凰堂そのものの全体の姿も鳳凰が羽を広げたように見えます。

水に映る姿も美しいですね。

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ご存知のように、堂内には限られた人たちしか入れなかった代わりに、下々も外から阿弥陀如来のお顔が見えるようになっています。

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鳳凰堂の内部は撮影禁止です。

ご本尊の阿弥陀如来と雲中供養菩薩は鳳凰堂が藤原頼道によって建立された1053年に一緒に造立されたと考えられているそうです。大仏師定朝とその一門の作です。

 

供養菩薩は雲に乗って阿弥陀如来の両側、南側と北側にそれぞれ26体ずつ、楽器を奏でたり、手を合わせた姿で配置されています。今は木の色になっていますが、当時は彩色されていたそうです。この時代の浄土思想では、人がこの世の生を終えるとき、このような菩薩たちが雲に乗って迎えに来ると信じられていました。

昔学校で習ったのだと思うのですが、この鳳凰堂で美貌美声の僧侶に読経させて、貴族たちはこの世にいながらにして、極楽浄土にいる気分を味わったとか。

阿弥陀如来は金色なので金属のように見えるけれど、檜の寄木なのだそうです。

 

残念ながら、雲中供養菩薩は堂内が薄暗いので、輪郭ぐらいしかわかりませんでした。今は半分は本物、半分はレプリカで、本物は博物館に展示されています。

 

博物館では、ゆっくり雲中供養菩薩様たちを拝見できました。

平安時代の仏様は慈愛に満ちた表情をなさってます。

 

売店に行ってカタログを見て気づいたのですが、お目当の供養菩薩以外の展示、なんと半分ぐらい見落としてしまったようです。

まあ、次回ということに。藤の花も有名なので、その季節もいいと思います。ただ、もっとずっと混雑は覚悟しないといけませんが。

売店では、クリアファイルや絵葉書はもちろん、平等院のモチーフの救急絆創膏まであって、楽しいというか商魂たくましいというか。

 

鳳凰堂を横から見たところです。

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境内の、不動堂のある最勝院に、源頼政のお墓がありました。

当時としては相当高齢だった77歳で以仁王平氏打倒の令旨を作成して諸国の源氏と寺社に呼びかけ、多勢に無勢で平等院に立てこもって最後は自刃したということが、子供の頃に読んだ時から印象に残っていた方でした。

武勇の誉が高くて、鵺(ぬえ)を退治した伝説があるそうです。

 

追記(2月10日) 雲中供養菩薩の写真集を購入しました。

通販でも購入できます。

平等院ミュージアム鳳翔館 | 世界遺産平等院 京都宇治

 

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節分なので吉田神社

昨日は節分なので、今年は吉田神社に行ってみました。

 

数年前に下鴨神社の豆まきに行って、豆を地面に落とさずダイレクトに受けるなどということはとてもできず、それでも幸いにも袋に入ったお餅を一つ拾えたことがありました。

全国各地に様々な行事が伝わっていることと思いますが、京都でも、あちこちで色々な儀式があって面白いと聞いたので、ちょっと調べてみましたら、比較的近いところでは、吉田神社、廬山寺、聖護院などが有名なようでした。

聖護院の山伏たちによる節分や普段公開していないお不動様の拝観にも心惹かれたのですが、今年は吉田神社に行ってみることにしました。

800も屋台が出て、賑やかそうなのです。

午後からのんびり出かけました。

 

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鳥居前には食べ物屋さんのほか、南天の箸を売るお店や昔ながらの射的などが並んでいました。

鳥居をくぐるとすぐに階段があって、本殿の方へ続いています。

 

階段を登りきると、3日の夜11時からの

火炉祭で燃やす古いお札や矢などが積み上げてありました。

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たくさんの協賛企業が豪華景品を提供する福引付きの福豆(200円)を一つ購入しましたが、私の年齢の数には一袋ではちょっと、いえだいぶ足りませんでした。別の豆が買ってあったので、そちらで補充しました。

なんと、景品には車もあるんですよ。

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素朴な表情のだるまみくじというのもありましたが、この前十日戎で鯛のおみくじをひいだばかりなので今回はやめておきました。

 

お参りしてから、両側に並ぶ屋台を見ながらブラブラ歩きました。

鯛焼き屋さんが何軒かある中、出町の鯛焼きというお店に人が並んでいましたが、出町に鯛焼き屋さんなんてあったかしら?

 

お寿司屋さんが出している屋台で恵方巻きの小さい方を買って帰りました。

 

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東京では恵方巻きの習慣はなかったし、こちらに移って来てからもしたことがなかったので、今年が初めてです。

夕食時まで置いておいたら、少しかたくなり始めていましたが、久しぶりの太巻き、おいしかったです。300円とリーズナブルでしたので、かんぴょうや卵焼き、きゅうりなど、オーソドックスで懐かしいものでした。

ピンボケですが、一応こんな感じです。

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大徳寺 聚光院

大徳寺は季節ごとの公開の時に公開している塔頭はだいたい見たし、中には友人たちを案内して何度も行ったところもあるので、すっかり油断していました。

聚光院が昨年3月から創建450年記念特別公開をしているのでした。

 

見所は、普段は博物館にある狩野永徳とその父松栄の襖絵(国宝)が、本来あるべきところにあるのを見ることができることです。

 

もう3月で公開は終わってしまうということなので、慌てて今日の午後に予約したのですが、よりによって今日は粉雪が舞う寒さ。

厚手セーターを着たので、帰りに買い物に寄った時に汗だくになるのも嫌だと思って、コートにライナーをつけずに行ったら、予想以上の寒さでした。

お寺の板の間は冷えるので、靴下は2枚重ねで行きました。

 

大徳寺の敷地に入って、少し歩くとすぐ見えるこの山門。

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この2階に千利休の木像が置かれたために、自分が通る頭の上に置くとはけしからんと、秀吉の不興を買って、利休は切腹を命じられてしまいました。たくさんの寄進をしたり、いろいろ貢献してくれた利休に感謝を表すために、お寺が置いたのだろうと推測されています。

 

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聚光院の中は残念ながら撮影禁止でした。

 

まず、お庭を拝見します。

狩野永徳が下絵を描き、利休が整えたと言われる「百積庭」。初代の沙羅の樹は利休が植えたものだったそうです。

 

国宝の襖は季節の移り変わりに沿って描かれていて、雪景色の裏側の部屋には春の雪解けが描かれていたり、部屋の角の直角を利用して立体感を狙ったり、面白い趣向が凝らしてあります。金泥に黒い墨で描かれています。金泥は今は茶色っぽくなっていますが、描かれた当時はストイックな中にも華やかさがあったのではないでしょうか。

 

そして、何と言っても楽しいのは、動物の絵です。猿は画家の家族を表現しているそうで、2匹の白い猿は天才の永徳と祖父、松栄本人はというと、肩身が狭そうにうつむいている黒い猿なのですって。

左側には虎と豹が描かれていますが、毛皮は輸入されていたものの、本物の虎も豹も見たことがなかった当時の人は、虎がオス、豹がメスだと思っていた、ということです。

 

襖絵は正座した目の高さに合わせて描かれているそうで、座敷の中にははいれませんが、廊下で場所を変えて座って見たりしました。

 

その後、利休150回忌に表千家が寄進した茶席「閑隠席」を見学。

俗世間から切り替える為の露地庭の先には刀を預ける棚があり、その横ににじり口があります。

井戸の滑車はなんと、織部焼

 

閑隠席は利休好みということで、時代を経ているためにますます「わび・さび」という言葉がぴったりでした。採光を抑えてあって、薄暗い部屋をほんのりと障子越しの光が照らしていました。それは、集中できるようにそのような採光にしたとのことです。

水屋の側の天井は一段低くて、高さは163センチしかないそうです。

亭主の謙虚さを示しているのだとか。

水屋を挟んで、正方形の床の間がある「枡床席」がありますが、こちらは天井も少し高く、明るくなっていて、お蕎麦などが供された席ということでした。

今も利休忌にお茶会に使われているのだそうです。

 

最後は2013年に建て替えられて新しくなった書院を見学しました。

ここではやはり普段は公開していない、千住博氏の、瑠璃色の背景に白い滝が迫力ある襖絵を見せていただきました。試行錯誤して16年もかかったとのこと。

ここでもお茶会が開かれるので、男性、女性の着物の色との調和も考えてあるそうです。

 

いつまた見る機会があるかわからないので、寒いけれど、行ってきてよかったです。

 

 

 

 

 

 

雪の下鴨神社で小正月の小豆粥

ゆうべ降り出した雪、寝る頃には止んでいましたが、朝起きると10cm以上積もって、まだ降っていました。

観光客ではなかなか遭遇できない雪景色を見にどこにいったものか?銀閣寺、金閣寺は前に行ったことがあります。

そういえば、今日は15日、下鴨神社のお粥祭の日でした!

蹴鞠や葵祭は見に行ったことがありますが、今年までお粥のことは知りませんでした。

糺ノ森の雪景色も見たいので、早速出かけました。

 

10時から祭事があり、お粥は先着とだけあって、何名分とは書いてなかったので、ちょっと心配しながら行きました。着いたのは10時半くらいでしたでしょうか。

すごく寒くて手水舎の竹を結んだ紐が氷っていました。

 

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手がかじかんで、デジカメのオンオフボタンも思うように押せません。

 

雪と赤い鳥居がきれいです。本殿に近い西側の入り口です。

 

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それなりにお参りの人がいました。

 

 

初詣の時には甘酒だったテントに、小豆粥を待つ人の列ができていました。

 

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熱々の小豆粥は、ほんのり塩味で、お餅も入っています。手袋がはめられないくらい手が冷え固まっていたのですが、小豆粥をいただいているうちに、感覚が蘇ってきました。

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元気が出たので、森と小川の方をそぞろ歩きました。水の豊かな地で、小川も何本も流れています。小径は、昔いくつもあった参道なのだそうです。

八咫烏(ヤタガラス)をお参りに行くための長い参道「烏の縄手」もありました。

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今日15日は毎年、三十三間堂で、新成人が晴れ着を着て的を射る通し矢が行われるということで、それもいつか行ってみたいものですが、あまり知る人が多くなさそうな、この下鴨神社の小豆粥もお薦めです。